週に何度か鎌倉のカフェバーでアルバイトを始めた。人生初の飲食業は覚えることだらけで、最近は家でもドリップ用のケトルをくるくる、バースプーンをくるくる、隙があったら練習、練習。フルタイムで勤めるわけではないので、カレーやガパオを覚えるのはもう少し先になりそう。その間、私が一人で入るときはカンタンなおつまみを出すことになった。
ドリンクのオーダーをとりながら出せるもの、となると凝ったことはできない。カフェバーだから、なるべくフォークかスプーンで食べられるものが良い。お酒のアテになるもの、軽く小腹を満たせるもの、原価があまり高くないもの。等々、あれこれ考えながら11月は料理の本ばかり開いていた。
新しく買った本もある一方で、前から持っていた本も、今までとは違った風に見えてくる。
たとえば『うつわや料理帖』と『うつわや料理帖Ⅱ』。器のお店の主がお客さんに教わって、作っておいしかったレシピを紹介した本で、レシピにまつわるエピソードと、器とその作り手の紹介を交えながら、口伝えらしい手軽に作れる料理がたくさん載っている。パセリが余ったときは「じゃが芋とにんにく炒め」を、梅酒に漬けた梅を貰ったときは「手羽先梅煮」を、ホームパーティに招かれたときは「ヤム・ウン・セン」を、という具合に活用してきた。
そして今、自分がカウンターの内側に入ってみると以下の前書きに「なるほどなあ」と思う。
店というのは「この指止まれ」と、いつも指を揚げているようなものだと思います。
食べることが好き、料理が好き、お酒が好き、花が好きという、店主の好みとどこか重なり合い、「この指」に止まって下さった方々との交友録は、店の歴史と共に増えて行きました。(中略)
おいしい料理が人から人へ伝わるのはすてきです。(『うつわや料理帖』「はじめに」より)
代々木上原の「うつわや」は、実際すてきなお店だった。
初めて訪れたのは2009年、亡くなった陶芸家について書くという仕事を引き受けてしまって、その取材先の一つだった。作家ものの器なんて買ったことがない、完全に門外漢の私が事情を打ち明けると、店主のあらかわさんは「それは大変でしょう」。淡々と、器のこと、故人のことを話してくれた。記事が掲載された雑誌を持って挨拶に行って、それでも器はなかなか買えなくて、先に著書を買い、ときどき届く作家展のお知らせを持って恐る恐るお邪魔して。
「後始末を人にさせたくない」とお店を閉めたのは2016年。それまでに私が買ったのは漆のタンブラーと、ガラスの小鉢と片口、白磁の中腕、小皿、数えるほどしかない。それでも、器を選ぶ楽しみのようなものを初めて体験することはできた。
鉄瓶で沸かしたお湯で淹れてくれるお茶がおいしくて、器やお花を眺めながらあらかわさんや他のお客さんの話を聞くのがおもしろくて、手ぶらで来て手ぶらで帰ることが申し訳なくて。いっそ喫茶店としてお会計してくれたらいいのに、と思ったこともあった。
言ってみれば私は、あらかわさんが揚げた「指」にふらふらと近づいては、しっかり止まれる脚を持たずにいたわけだな。料理と器の写真を眺めていると、別世界にあこがれるような、当時の気持ちがよみがえってくる。
そして私のバイト先も、まさに「この指止まれ」だ。店長はアパレル業界の出身で、内装は鎌倉のカフェの中でも屈指のオシャレさ(だと私は思う)。オシャレなだけなら私が客として通うことはなかったはずで、自家製のトニックウォーター、ジンジャーシロップやコーラシロップを使ったカクテルを昼間から飲ませてくれる。店長がデザインした男女兼用のオーバーオールの他、コーヒーカップやアクセサリーが並び、店の奥の工房ではたまにミシンを動かしている。そこにいろいろな人が来ては去っていって、そしてまた戻ってくる人もいる。
「この指止まれ」の「指」に、今回はどうやら止まることができたらしい。指を揚げる側になれるかどうか、止まってくれる人がいるかどうかは、もう少し続けてみないとわからない。
(そんなわけでしばらくぶりの更新になりました。以下は営業。)
『Jenteco LABO』は鎌倉駅西口から徒歩3分、御成通り沿いの入口がわかりにくいカフェです。私は今のところ金曜の夜と、今週は臨時で7日(土)17時から出勤予定。