ライターズブルース

読むことと、書くこと

「私」と「誰か」の相関と互換

『一人称単数』/村上春樹/文春文庫/2023年刊

 一人称単数の短編小説を、村上春樹さんは過去にいくつも書いている。この短編集に収録された八編には「”僕”もしくは”私”が語る物語」という以外にも、それが小説家・村上春樹である(と思わせる)という共通点があるけど、それだって過去にいくつか例がある。だから最初に読んだときは、どうしてこの短編集に限ってわざわざ『一人称単数』というタイトルにしたのかがわからなかった。今も、わかりはしないけど。

「クリーム」は、同じピアノ教室に通っていた女の子から手の込んだすっぽかしを喰らう話で、表題作「一人称単数」は、バーでたまたま隣あった女性から身に覚えのない吊し上げを喰らう話だ。読むと私はどうしても、ずっと昔に匿名の「誰か」から嫌がらせを受けたときのことを思い出す。高校の美術の授業で描いた絵が切られていたときのことを。

 二センチ程度の小さな傷だったから、一つだったら何かのアクシデントだと思った(思い込もうとした)かもしれない。でも自画像とモンドリアンの模写と、二つに同じような切り傷が入っていたのは、悪意によるものだったと認めるしかない。

 当時はもちろん頭にきたし、傷ついたし、周囲の人たちに対して疑心暗鬼になったりもした(と思う)。でも結局のところ、どうすることもできなかった。誰かがすごーく私のことを嫌っているんだな、まあ私だって嫌いな人はいるからな、だからといって匿名で嫌がらせをしたりはしないけど……。そんな風に考えて、つまりこれは「私」の問題ではなく、その行為に及んだ「誰か」の問題なんだ、と結論した。

 でも、どうなんだろう。本当にそれは「私」の問題じゃなかったのか?

 白状すると、中学生のときは下駄箱に入れておいたはずの体育館ばきがゴミ箱から出てきたことがあった。大学の通学に使っていた自転車が二度に渡ってパンクしていたのは、偶然だったとは言い切れない。そんな風に「誰か」から嫌がらせを受けるってことは、何か「私」に問題があったんじゃないの? 今これを読んでいる「誰か」がそう思ったとしても仕方ない、とも思う。

 私はそこで彼女に何か反論をするべきだったのだろうか? 「それはいったいどういうことなのですか?」、そう具体的な説明を要求するべきだったのだろうか? 彼女が口にしたことは、私にしてみれば、どう考えても身に覚えのない不当な糾弾だったのだから。
 しかしなぜかそれができなかった。どうしてだろう? 私はたぶん恐れていたのだと思う。実際の私でない私が、三年前に「どこかの水辺」で、ある女性──おそらくは私の知らない誰か──に対してなしたおぞましい行為の内容が明らかになることを。そしてまた、私の中にある私自身のあずかり知らない何かが、彼女によって目に見える場所に引きずり出されるかもしれないことを。(「一人称単数」より)

 自己同一性という概念があるけれど、この短編集のテーマはもしかすると自己”非”同一性のようなものかもしれないなあ、と思ってみたりする。「私」の不確かさ。「私」に主体性があるとすれば、「誰か」にも主体性があること。その歪みに、何か大事なものがある、とでもいうような。

 念のため、すっぽかしとか吊し上げを喰らう話ばかりではない。早逝したサックス奏者が夢に出てきて、”僕”のためだけに特別な一曲を吹いてくれる、という楽しい話もある(チャーリー・パーカー・プレイズ・ボサノヴァ)。……夢といえば、高校を卒業する間際にこんな夢を見た。私は私の描いた絵をカッターで切り付けた「誰か」を走って追いかける。校舎の突き当たりまで追い詰めて、罵倒しながらパイプ椅子でメッタメタのボコボコにする夢だ。私としてはそんな凶暴な復讐を望んではいなかった、というかその頃にはほとんど忘れたように日常生活を送っていたけれども。目覚めたときの爽快感は忘れられない。

 この短編集で私が一番好きなのは「神宮球場とスワローズと村上春樹」が登場する随筆風の物語だ(”ヤクルト・スワローズ詩集”)。”僕”が膨大な数の負け試合を目撃し続けることで「今日もまた負けた」という世界のあり方に自分の体を慣らしていったように、私は匿名の誰かの嫌がらせを何度か受けることで「誰かが私を嫌っていたとしても仕方ないではないか」という気の持ちようを身につけたんだと思う。それは決して楽しい経験ではなかったけれども、今ではすっかり私の一部になっている。

 あのときの「誰か」がいつかどこかでこれを読むかもしれない、その可能性はゼロではないから、一応書いておく。私の知らない「私」がその「誰か」を傷つけたんだと思うし、それに夢でメッタメタのボコボコにしたから、私はもう怒ってないし傷ついてもいないよ。

サマセット・モームの“First Person Singular”(一人称単数)という短編集は、電子書籍専門レーベル(グーテンベルク21)から二分冊で出ている(「人間的要素」「十二人目の妻」)。研究者とか書評家が比較・分析してくれたらおもしろいかもしれないけど。私には「作家本人を思わせる語り手」というくらいしか共通項は見つけられなかった。

 

弟子時代の遺物(その三)

『コスモポリタンズ』/サマセット・モーム/龍口直太郎 訳/ちくま文庫/1994年刊

 お世話になっていた先生の自宅からサマセット・モームの文庫本を十冊くらい引きとった経緯については、以前書いた。代表作とされる長編小説と、晩年に書かれたエッセイ集と、いくつかの短編集と。先生の書架には学術本も稀覯本の類もあっただろうに、それなりに長く弟子でいたはずの私の手元には世界的ベストセラー作家の文庫本ばかり残ったことを「我ながら欲もなければ学もない」と、そのときは書いたけれども。

 最近になってふと、それはそれでもっともなことだったかもしれないという気がしてきた。モームという作家が繰り返し描いてきたのは、矛盾した人間の姿だ。たとえば株の仲買人だった男が仕事も家族も捨てて、狂ったように絵を描きはじめる(月と六ペンス)。あるいは不貞の果てに駆け落ちをした放埒な女性が、子どもを亡くした悲しみを抱きかかえて生きている(お菓子と麦酒)。

 私がお世話になった先生もメチャクチャな人だった。指導者らしい助言をする一方で、「アナタはもう友達だもんね」と悪戯の片棒を担がせたり。私が親の小言を愚痴ると「俺の娘になればいいじゃん」と宣い、男女の口説き文句のようなことを口走ったかと思えば、「書き出しってキツイよねえ」と同業者同士のような弱音を吐いたりした。

 私がモームの文章に親しむようになったのも、先生が蔵書をすべて置き去りにして家出をした結果だ。でもそれを「もっともなこと」だと思えるのは、相応の時間と距離を経たからであって、当時の私が聞いたら「冗談じゃない」と怒るかもしれない。

 置き去りにされたのは蔵書だけではなかった。たとえば荷物が詰められたままのリモワのスーツケース。私は本以外の私物にはあまり触れないようにしていたが、一生かかっても飲みきれないくらいの漢方薬の束と、一生かかっても使いきれないくらいの付箋の山が出てきたことは、スーツケースを開けたご家族の会話から聞こえてきた。

 二台のスーツケースから合計三台の電動シェーバーが出てくると、その場にいた誰もが首を傾げた。うち一台は動かなくなっていたが、故障ではなく、詰まっていたゴミをブラシで掻き出すと、やがて低い振動音が鳴り響いた。さらに掻き出すとそれが高音に変わっていった。
「きったねえなあ。一回も洗わなかったのか」
「ちょっと前に『センセイの鞄』って小説がありましたけど……」
「現実なんて、こんなものですよ」

 ご家族とそんな話をした。呆れながら。笑いながら。

 私は先生の家族も、ひとりひとり好きだった。家族の絆とか社会倫理とか、そういうものとは関係なく、それぞれに知的で、個性的で、楽しい人たちだった。先生がいずれ帰ってきたら、いない間に起きたこと、交わされた会話を、第三者の口から語って聞かせることが自分の役割だと思っていた。その機会がついに訪れなかったことは、私にとってまったく意外なことだった。

 小説とか芝居とかいうもので、人生の真実に反していることがあれほど多いというのは、おそらく止むをえないことなのであろうが、それは作者がその登場人物をまったく矛盾のない人間に仕立ててしまうからなのだ。作者としては、人物を自己矛盾だらけの人間にするわけにはいかないのだろう。もしそんなことをすれば、そういう人物は読者の理解を超えてしまうからである。しかし現実において、われわれ人間の大半は自己矛盾のかたまりではないだろうか? 矛盾だらけのさまざまな性質をごっちゃに束ねたもの──それが人間なのである。(中略)人々が、自分たちの受けた第一印象はきまって正しいなどと語ると、私はただ肩をすぼめるほかないのだ。たぶんかれらは洞察力が乏しいか、虚栄心が強いかのどちらかであるにちがいないと思う。私個人としては、人々と長くつきあえばつきあうほど、ますますその人間がわからなくなってくると感じる。(『困ったときの友』)

 モームの短編集のうち、私が読んだなかで一番好きなのは『コスモポリタンズ』。一世紀前に活躍した作家だから、いま出ている短編集は傑作選のようなものが多いけれども、こちらは「コスモポリタン」という雑誌に連載された一連の作品集だ。

 なんと言っても一つ一つが短いのが良い。文庫本10頁くらいのショートショートが30編、登場するのは詐欺師や外交官、漁師や隠棲者などなど。舞台となるのはロンドンやニューヨーク、ボルネオや京城、神戸などなど。医者として、諜報員として、世界各地を渡り歩いた作家だけに、創作とも実話ともつかない語り口が魅力的だ。

 虫も殺さないような好人物が、何事もなげに殺人に近い行為に及ぶ話。騒々しくて派手派手しい男が、たまたま居合わせた女性の名誉を守るためにひっそり自己犠牲を忍ぶ話。……モームだったら、あのメチャクチャだった先生をどんな風に描いただろうかと、考えるともなく考える。私だって良い弟子だったか悪い弟子だったか、わかったもんじゃないよなあと思いながら。

コスモポリタン』は和田誠さんによる装画もすてきだと思う。でも岩波文庫の短編集(上下巻)も、翻訳の行方昭夫さんによる解説が親切で捨てがたい。

忘れてたのに、そこにいる

『ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡』/宮下規久朗/光文社新書/2010年刊

 アンディ・ウォーホルといえばアメリカン・ポップアートの巨匠で、日本国内でもわりと頻繁に大規模な回顧展が催されている。でも、私は観に行ったことがない。画集を開いたこともないし、著書を読んだこともない。ファンであるとはとても言えないはずだった。

『ウォーホルの芸術 20世紀を映した鏡』という本を手に取ったのは、著書の宮下規久朗さんに興味があったからだ。新刊をチェックするつもりで何気なく検索していたら、十年以上前のこの著書が目に留まり「カラヴァッジョやフェルメールについて書いた人にしては少し意外だな」と思って古書を取り寄せた。

 頁を捲ってみると、紹介されているウォーホル作品のほとんどに見覚えがある。「ファクトリー」と呼ばれた制作スタジオのこと、「アンダーグラウンドの帝王」と称されるに至ったエピソードのいくつか、「機械になりたい」とか「誰でも15分間は有名になれる」といった従来の芸術家像を裏切る発言の数々。展覧会に行ったこともない、著書を読んだこともないのに、どうして私は知っているんだろう。

 まあそれだけ有名な人だったということだな。そういえば高校の美術の教科書にも載っていた、デュシャンポロックリキテンスタインと同じ頁に。でも教科書にそれほど詳しく載っているわけもないしなあ。……不思議な気持ちで読み進めるうちに、やっと思い出した。高校生の頃、木場の現代美術館でウォーホル展が開催されていたことを。しかもその企画には著者の宮下さんが関わっていたらしい。私に刷り込まれた知識は、当時、雑誌のウォーホル特集を見てのものだったと推測される。

 

 雑誌を見るくらい興味があったなら観に行けばよさそうなものを……と再び疑問に思い、再び思い出す。私は展覧会に行く代わりにそのチラシを横浜の美術館で数十枚くすねてきた。裏面に印刷されていた洗剤の箱を模した作品の写真をハサミで切り取って、トイレットペーパーのロール紙に延々と糊で貼り付けて遊んだりした。

 それだけじゃない。東急ハンズシルクスクリーン(ウォーホルが多用した版画の一種)の製版キットを買ってTシャツを刷ったりもした。アイロンの熱を利用する市販のキットでは飽き足りず、ヨドバシカメラで感光塗料を買って、化学準備室に付設されていた暗室で製版を試みたり。自前の感光製版がうまく行かず、結局業者に頼んだ記憶も甦る。それを使って、通学路の壁面にストリートアート的なものを描いたことも(立派な器物損壊だ、とうに時効だけど)。

 思い出してみると「ファンだった」どころじゃない、見事にかぶれていたではないか。展覧会に行かなかったのも、おそらく「敢えて」のことだ。大量生産・大量消費という現代社会自体を表出したこの人の作品を、美術館という保守的な場所でお行儀よく鑑賞するのは「何か違う」。そんな感覚でたぶん、自分なりのやり方で共鳴しようとしていたんだと思う。

 

 実際のところ、シルクスクリーンをきれいに製版して印刷することはなかなか難しい。同じ図版を何度でも刷れるのが版画の長所だが、一つの画布に連続して刷ろうとすると、インクを載せたくない部分にインクが重なって、ぐちゃぐちゃになってしまう。けっこうお金もかかるから、すぐに懲りて「日本のウォーホル」を目指したりはしなかった。

 とはいえ『間取りの手帖』という私の最初の本は、賃貸情報雑誌で集めた変わった間取り図を100点ばかり掲載したものだった。極端に字の少ない本だから、表紙に自分の名前を入れることに抵抗を感じて「なるべく小さい字にしてください」とお願いした記憶がある。既存のイメージの再利用と、作家性の除去。

 宮下規久朗さんはウォーホルを「ピカソと同じかそれ以上に、美術のあり方や考え方を変えてしまった」存在として位置付けている。美術全体のことは知らないが、私個人に限って言えば、明らかにピカソ以上のインパクトを受けていたのだ。気づかないうちに。

 ある時点から、ウォーホルはあまりにも名声を博したために機械のような作者でいることがかなわず、華やかな取り巻きの言動やマスメディアへの大々的な露出によって自らを神格化してしまった。自らが、マリリンやエルヴィスと同じような大衆的なイコンとなってしまったことは、必然的に彼の意図する作者の匿名性や機械的な生産方式と齟齬をきたすことにもなったであろう。(中略)
 そして、名声の高まりとともに、自らをイコンのように神格化した自画像を生むようになってしまったこと自体が、作者の匿名性と機械化を追求してきたはずのウォーホル芸術の終焉を告げているのである。(「第6章 ウォーホル芸術の終焉」より)

 先週、音楽イベントの会場でウォーホルの「ミック・ジャガー」がプリントされたTシャツを着ている人を見かけた。

 今年はキッチンの壁に安西水丸さんのカレンダーをかけている、6月の絵の背景に「キャンベルスープ」が描かれていることに昨日気がついた。

 そんな風にさりげなく、日常生活に紛れ込んでいる。ほとんどその人の名を思い出させることもなく、常にどこかで消費され、再生産されている。私が生きている間は、たぶんずっと。

思い出したついでに母校の通学路を十数年ぶりに訪れてみた。当時あちこちで見かけたオウム真理教の指名手配犯の写真をモチーフにすれば、もう少しマシなオマージュになっただろうに。

本を買う理由

『手軽 あっさり 毎日食べたい あたらしい家中華』/酒徒/マガジンハウス/2023年刊
『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻 中国語の口福』/新井一二三/筑摩書房/2023年刊

 どうして私は本を買うんだろう、と思うことがある。

 たとえばブックカフェで読みきれなかった本を持ってレジに向かうと、一緒にいた友人は読みかけの本を棚に戻していた。買わなくていいの? あ、そう。……貸してと言われて貸した本がなかなか返ってこない、まあ返ってこないかもと思いながら渡したから別にいいけど。……図書館で借りた料理の本を、会社の複合機で丸々一冊分コピーする人がいる。……なんで買わないんだろうという疑問は、なんで私は買うんだろうという自問に変わる。

 読みたいから? 欲しいから? 好きだから? それはそうだ。でも動機はその時々で違う気もするし、結局はただの習慣に過ぎない気もして、自分でもよくわからない。

 

 お金がたくさんあるわけじゃないから、なるべく慎重に買う。

 たとえば『あたらしい家中華』は、電車で広告を見かけてから三、四ヶ月、ずっと気になっていた。いつ買ったか思い出せない調味料を引越しで大量に処分した私にとって、「豆板醤もオイスターソースもいりません」というコピーは見過ごせない。

 しかし近所の本屋にはなかなか入ってこなかった。ネットで注文しようか、でも料理の本は実物を見ずに買うと失敗しがちだからなあ、と思い留まっていたのだ。年明けにたまたま友人の家で見せてもらうことができて、目次や本文のレイアウト、見やすさ開きやすさなどを確認してから、やっと注文した。

 結果、掲載の七十八品中、今のところ十品くらい試して、うち半分はリピートしている。一番よく作るのは「白切鶏(茹で鶏)」。鶏もも肉を生姜と長ネギと一緒に五分茹でたら、あとは三十分以上放置するだけ。ほんとにこれでいいの? と不安になるくらい簡単で、しっかりおいしい。放置している間にタレや他のおかずを作れるし、茹で汁で米を炊いたりスープを作ったり、すばらしく合理的だ。

「葱油芋艿(里芋の葱油炒め)」は春先まで隔週ペースで作っていたし、最近は「涼拌青椒西紅柿(青唐辛子とトマトの冷菜)」をよく作る。そういえば先週作り置きした「開洋葱油拌麺(干し海老と葱油の和え麺)」のタレも、冷蔵庫にまだ二食分あるぞ、ムフフ。

 という具合に活用して、1,500円(税別)の元は十分とれたと実感していた矢先、今度は『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻』という本をブックカフェで見つけた。中国語と中国料理にまつわるエッセイ集で、いわゆるレシピ本ではない。とはいえ読んでいるうちに食べたくなるし、作ってみたくなる。

 少し迷ったけど、結局この本も買った。だって『あたらしい家中華』を見ながら青椒肉片を作ったばかりだったのだ。チンジャオローピェンとチンジャオロース、比べてみたいではないか。

日本では家中華の代名詞的存在の青椒肉絲。でも正直、材料の細切りが面倒だ。そんな時は青椒肉片の出番。「絲(細切り)」と「片(薄切り)」にするだけで、美味しさはそのままに、手間は激減する。(『あたらしい家中華』より)

 せん切りを指す絲という漢字は、糸の旧字体ですが、ただの糸ではありません。これは絹糸の意味なのです。(中略)
 丁寧に細く細く、同じ幅に切られた豚肉が、中華鍋の中で油をまとい、皿の上できらきら光る。その視覚的イメージが持てて初めて、この料理名が本当に理解できたと言えるでしょう。
(『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻』より)

 さてさて、豚肉をなるべく細ーく、絹糸をイメージしながら切ってみた。実際にはどう見ても紐の太さだったけど。青椒肉片を作ったときと同じ要領で下味をつけて、ピーマンの細切りと炒め合わせる。……うーむ、チンジャオロースも捨てがたいなあ。時間があるときは肉絲、急いでいるときは肉片にすればいいわけね、なるほど、なるほど。おや、「熱拌蕎麦(麻辣まぜそば」も、どっちの本にも載ってるぞ。

 

 そんなわけで、『青椒肉絲の絲、麻婆豆腐の麻』を読みながら料理をイメージして、『あたらしい家中華』で詳しいレシピを確認する、という読み方をしている。中国語で「肉」と言えば豚肉を指すとか、「末」「絲」「丁」「片」「塊」の文字は材料の切り方や大きさを表しているとか、「麺」はヌードルではなく小麦粉を指すとか。漢字の意味をいくつか知ると、四字熟語のように見えた中国語の料理名が、ちょっと身近に感じられる。中国名でイメージしながら作ったほうが、おいしく出来上がるような気がする。

 付け加えると、『新しい家中華』は『土井善晴さんちの「名もないおかず』の手帖』と比べるのもおもしろい。材料と調味料と作り方がどちらもシンプルだから、中国の家庭料理と日本の家庭料理の共通点が見つかったり、それぞれの良さが見えてきたり。

 本を買って手元においておくと、新しく買った本と比べて読むことができる。それも本を買う理由の一つなんだよなあ。誰に聞かれたわけでもないけれど。

上が肉片(ローピェン)、下が肉絲(ロース)。中国料理は材料の切り方や加熱方法等がほぼ漢字一字に集約されていて、その組み合わせは「パズルかレゴブロックのよう」なのだとか。

 

貰うことと、受けとること

『万能! にんにくみそ床レシピ』/松田美智子/河出書房新社/2014年刊

 何度か利用した通販サイトで「水抜き不要のぬか床容器」なるものを発見したのは一年くらい前だった。冷蔵庫内の幅と奥行きを測ってサイト記載の寸法を確認、「買ったけど使わない」なんてことにならないだろうかとじっくり検討して、購入したのが年末。使い始めて五ヶ月目、この頃やっと馴染んできたというか、この分なら続けられそうだという気がしてきた。

 といっても私が漬けているのはぬかみそではなく、にんにくみそだ。ぬか漬けは、発酵済みのぬか床を買って試したことがあるけれど、寒い時期はあまり食べたいと思わなくなる。にんにくみそなら肉も魚も野菜も漬けられるし、漬けた食材を焼いたり煮たり揚げたり、冬場の温かい料理にも使える。

 用意するのは味噌1キロとニンニク1玉と酒1/3カップ。味噌と酒を合わせたものを容器に敷いて、皮と芽を除いたニンニクを埋め込んで、二週間寝かせたら準備完了。あとは肉でも魚でも野菜でも好きなものを漬ける。味噌は好みのものを二種類混ぜると良いとか、最初は牛肉を漬けるとみそ床の旨味が増すとか、コツやアレンジレシピは松田美智子さんの本に載っている。

 お歳暮でいただく牛肉のみそ漬けを心待ちにし、みそ床に興味を持ち、いただきもののみそ漬けのみそに別の肉を漬けたのが最初です。”もったいない”から始まり、自分の好みの味に仕立ててみたくなり、しょうがを入れたり、別のみそを加えたり、余ったにんにくを足しながら育てています。漬けた素材から出る旨みでどんどんみそ床の味が上がります。そして、今ではみその塩分とにんにくの殺菌作用で、1~2ヶ月忘れていても、かびることも腐ることもなく、我が家のおかずを助けてくれる強い味方です。(「私とにんにくみそ床」より)

 じつはこの本、十年くらい前にある人から貰った、保存容器に入ったにんにくみそと一緒に。本を見ながらいろいろ漬けたり、漬かったにんにくを刻んで薬味にしたり、みそをお餅に塗って焼いて食べたりと、あれこれ楽しんでいたのだが。不精者の私は半年くらいでダメにしてしまったのだ。

「よくある質問Q&A」には書いてある、みそ床が水っぽくなったらペーパータオルで水気を吸いとりましょうとか、味が薄くなってきたら味噌とにんにくを足しましょうとか。そのとおりに実践すればよかったものを。重い腰を上げたときには、ペーパータオルでは対処できないくらいじゃぶじゃぶになっていた。もったいない気持ちと申し訳ない気持ちで処分した後、本だけが手元に残った。

 もう一度、自分でちゃんと漬けてみよう。でも、私はどうせまたダメにしてしまうかもしれないなあ。……たまに頁を開いては思い留まることの繰り返しだった。「水抜き不要のぬか床容器」を発見するまでは。

 容器が二重になっていて、内側の容器の底には穴があって、そこから水分が自動的に抜ける? サイトで見たときは半信半疑だったけれども、実際に牛肉を漬けてみると、翌日には透明の外容器の底に1ミリくらい茶色い水が溜まっていた! あとは把手のついた内容器を外して、外容器の水を捨てるだけ。漬ける食材によって水が落ちる量とスピードが違うのも、実験みたいでおもしろい。これなら私にも続けられそう。いや、今度こそ続けるぞ。

 

 にんにくみそ床とこの本をくれたHさんは、もともとは大学の先生の奥さんとして面識を得た。その頃は「先生の奥さん」として接していたのだが、その後十年くらいを境に先生とは疎遠になり、Hさんとは親しくなった。それからまた十年以上経って、今はもう、どう説明したら良いかわからない。

 いろいろなことを教わって、いろいろなものを貰った。このブログで題材とした「捨てられない本」も、少なくとも十冊はHさんに勧められるか貰うかした本だ。言葉ではお礼を言うけれども、お返しをできた試しがない。私が知っているようなことはなんでも知ってるし、私が買えるようなものはなんでも持っているから。

 お返し以前の問題として、受けとることすら十分にできていない。その好例がにんにくみそ床だ。きっと良い味噌や良いニンニクで仕込んでくれたに違いなく、我ながら情けないことをしたものだといまだに思う。

 最近、近所の人に唐辛子の苗を分けてもらった(私は人からよくものを貰う)。ベランダに鉢植えを置いて、秋に無事収穫できたら、みそ床にぶちこんで「にんにく唐辛子みそ床」にするつもりだ。うまくいったらHさんに報告しよう。報告できるように、みそ床をダメにしないように、苗を枯らさないように。でも、今まで手にした植物はぜんぶ枯らしてきたからなあ。自信はあまりない。

容器付属のヘラも、表面がボツボツしていて使いやすいし、斜めに入れるとうまく引っかかって、そのままフタできる。去年の買い物ベストスリーに入る、このままちゃんと使いこなせれば。

ジャズの屈託、私の屈託

『ポートレイト・イン・ジャズ』/和田誠村上春樹新潮文庫/平成16年刊

 ジャズという音楽には気ちがいじみた愛好家がたくさんいて、派閥を形成して隠語で通じあったりウンチクを競いあったりしている、という勝手なイメージを長いこと抱いていた。歴史もフクザツそうだし、うっかり近づくと面倒なことになりそうだから、ビル・エヴァンズとかセロニアス・モンクとか、お気に入りのアルバムはいくつかあっても、それはそのピアニストが好きなのであって「ジャズが好きなわけではない」、そう思うことにしてきた。

 数年前、アメリカのテレビドラマを観ていたらバックグランドに流れているピアノのメロディーが妙に気になって、頭から離れなくて、調べてみたらオスカー・ピーターソン・トリオの演奏する”The Shadow of Your Smile”。その曲が入っているアルバムを買って何度か聴いているうちに、こういうのもっと聴きたいなあと思って、他の盤や他のトリオ、サックスが加わったカルテットやソロ等々に徐々に手が伸びていった。「ジャズっていいなあ」と素直に頷けるようになったときには四十歳を過ぎていたのだから、遅蒔きもいいところだと思う。

 

『ポートレイト・イン・ジャズ』という本を手に取ったのも、ほんの数年前だ。和田誠さんが描いたミュージシャンの肖像画村上春樹さんがエッセイを寄せた画文集で、絵も文章も、見飽きないし読み飽きない。それぞれの分野で独創的な仕事をなしてきた人たちによって、こういう本が成り立つこと自体、ジャズという音楽の豊かさなんだろう、たぶん、きっと。

 とても楽しい本だけど、でもあまり不用意に開かないことにしている。読めば聴きたくなるディスクガイド的側面もあって、実際にこの本に誘われて買ったアルバムがいくつかある。買わなければよかったと思うものは、一つもない。ただ、村上春樹さんによる解説があまりにピタリとハマり過ぎていて、そういう風にしか聞こえなくなってしまうのだ。

 たとえば『ELLA AND LOUIS AGAIN vol.2』。エラ・フィッツジェラルドルイ・アームストロングの「ハッピーでスインギーな」共演アルバムだが、特筆されているのはエラのソロ曲だ。「舞台でいえば、熱唱を終えたルイが拍手に送られて楽屋にさがり、エラがひとり静かにステージ中央に歩み出て、照明がすうっと暗くなる」……そういう演出をしたプロデューサーの手腕を褒めつつ、オスカー・ピーターソンによる伴奏が「なかなかいける」。

 よく聴き込むと、エラとピーターソンの「思い出のたね」にはいくつかの聴かせどころがあることがわかる。とくに「隣のアパートメントから聞こえるピアノの爪弾きが……」というところですっと裏に入ってくるピアノのパッセージは、いつ聴いても「いいなあ」と思う。芸である。小説なら文句なしに直木賞をあげたい演奏だ。(「エラ・フィッツジェラルド」より)

 これはと思ってCDを買い、耳を澄ませてみると……。たしかに直木賞っぽい! ほんとにもう、そういう風にしか聞こえない。それで何が困るというわけではないけれども。「この音楽はなんだろう?」という心持ちで耳を傾け、自分のペースでその音楽を咀嚼して体に馴染ませてから、誰かに伝えるために言葉を見繕うというプロセスが、ごっそり失われてしまう気がするのだ。

 もちろん本が悪いわけではない。「よく聴き込むと」とさりげなく前置きされているが、それがどれほどの回数と集中力であったか。そういう経験を積んでこなかった、ジャズという音楽を何度も素通りしてきた私が悪いのだ。

 

 先月、友達の友達がビッグバンドでサックスを吹くからと誘われて、ライブに行ってきた。アマチュアと聞いていたからあまり期待しないようにしていたのだが、冗談のような木戸銭で入れてもらったことが申し訳なくなるくらい、すてきなステージだった。

 奏者がみんな楽しそうでよかったとか、複雑そうな和音が気持ち良く響いていてスゴイと思ったとか、スタンダードナンバーから新譜まで選曲がおもしろかったとか。終演後、友達の友達に感想を伝えると、楽器のことやバンドの成り立ちのこと、「ベーシストは良い人が多い」とか「トランペットは高い音をまっすぐ出すのが難しい」とか、興味深い話をいろいろと聞かせてくれた。

「ほんとにジャズが好きなんだね」
 誘ってくれた友人にそう言われると、ついクセで「いや、そんなことは……」と否定したくなったけれども。
「うん、そうみたい」
 いい加減、素直に肯定しないといけない。全然詳しくないけどね、と付け足さずにはいられなかったにしても。

 そのときサックス奏者が勧めてくれたカウント・ベイシー楽団の『BASIE IN LONDON』を、最近よく家でかけている。『ポートレイト・イン・ジャズ』にもカウント・ベイシーの頁があることを思い出したけれども、その頁を開くのは、もう少し自分の耳で聴いてからにしようと思う。

和田誠さんによるオスカー・ピーターソン像。村上春樹さんによる評は……。これから初めて聴く人もいるかもしれないから、引用は差し控える。

見ることと描くこと

『〈オールカラー版〉美術の誘惑』/宮下規久朗/光文社新書/2015年刊

 二、三ヶ月前、ワインを飲みながら絵を描くというワークショップに参加した。美大生が講師をする体験型アートショップというもので、その日は6号のキャンバスにパレットナイフを使って、一種のポップアートを制作する回だった。見本では人の顔や犬の顔が描かれていたけれども、好きな題材で良いと言われたので、私は酒瓶を十八本とグラスを一つ描いた。

 誘ってくれた友人は「うまい」と言ってくれたけれども、「誰でもすてきな絵が描けます」というのがそこの謳い文句で、作業自体も約三時間。上手下手はあまり関係ない。もし差があるとしたら、高校の美術の授業でアクリル画を描いた経験のためかと思われた(友人はアクリル絵具自体が初めてと言っていた)。

 印象派の画集の中から好きな絵を一点選んで模写する、というのがその授業の最初の課題で、私はなんとなくゴッホの「跳ね橋」を選んだ。まず十二分割くらいのグリッドを引いたトレーシングペーパーを画集の上にあてて、それをガイドとしてキャンバスに鉛筆で下絵を描く。続いて黄土色の絵具を使って下絵をなぞり、茶色、焦茶色を徐々に重ねていく。もう塗れるところがなくなったところで、今度は青系の絵の具を一色、二色と足していく。……思い出しながらそんな話をすると、友人は「ずいぶん本格的だったんだね」。

 他の高校に通ったことがないから比べようがないけれども、言われてみればそうかもしれない。お手本の画集には鮮やかな色が印刷されているから、つい最初からその色を使いたくなるのだが、週に一回、最初の二ヶ月くらいは茶系と青系の絵具だけで輪郭をなぞる、という風に教わった。当時の私はそれを、画材に慣れるためと解釈していたけれども。

 あれはどうも、絵を描くというよりは絵を見る時間だったのかもしれない。絵の描き方とか道具の使い方を覚える以前に、一つの絵にじっくり向き合う訓練。少なくとも私にとってはそういう意味で貴重な体験だったんだなと、二十五年経った今はそう思う。

 

 ワークショップをきっかけに、友人は絵具を買って自宅で絵を描いているらしい。「教えてよ」と言われたけれども、とてもそんなことはできない。「良い絵を描こうと思ったら、良い絵をなるべくたくさん見たほうがいいと思うよ」なんて月並みなことを言って、がっかりさせてしまった。

 がっかりさせたままでは申し訳ないから、何か参考になるような、参考にはならなくても絵を見たいとか絵を描きたいという気持ちになるような本がないかなと思って、本棚から抜き取ったのが『美術の誘惑』。

 産経新聞の連載をまとめたエッセイ集で、中国の山水画や現代美術、東北の供養絵額や刺青の写真集など題材は幅広く、一編は短い。西洋美術を専門とする著者の主著とは言えないだろうけれども、私はこの本が好きだ。その理由はおそらく、一人娘を若くして亡くしたという、一見絵画とは関係のない個人的な体験が綴られていること。美術はどんな人の心をも救うことができると信じて、美術史の仕事に打ち込んできたけれども、「そんな信念は吹き飛んでしまった」。

 美術はあらゆる宗教と同じく、絶望の底から人を救い上げるほどの力はなく、大きな悲嘆や苦悩の前ではまったく無力だ。しかし、墓前に備える花や線香くらいの機能は持っているのだろう。とくに必要ではないし、ほとんど頼りにはならないが、ときにありがたく、気分を鎮めてくれる。そして出会う時期によっては多少の意味を持ち、心の明暗に寄り添ってくれるのである。(「エピローグ 美術の誘惑」より)

 人にとってもっとも大事な画像は「美術作品ではなく死別した家族の遺影にほかならない」と、美術作品の価値を否定しながら、美術作品について語る。遠野に伝わる供養絵額は「死者が、亡くなった後も平穏で幸福な暮らしをしてほしいという奉納者の願望なのだ」。職業的な義務感で立ち寄った展覧会で、その画家が息子を亡くしたことを知り、「その寡黙な画面には大きな悲しみが塗り込められていた」。自分の心を一枚の絵に託すという人の営みが、ささやかな奇跡のようなものとして伝わってくる。

 新書だからサイズは大きくないけれども、図版はすべてカラーで掲載されている。近くの美術館で見られそうなものも、少しある。始めたばかりの友人の趣味がいつまで続くかはわからないし、この本に興味を持ってくれるとは限らないけれども。久しぶりに描いてみて私もおもしろかったから、そのお礼になるかどうか、そのうち近くの美術館にでも誘ってみようかと思っている。

絵を描くのは楽しいけれども、飾る場所もしまう場所もあんまりないのが難点。比べて本は、一冊一冊はかさばらないから、とつい増えすぎてしまうのが難点。