ライターズブルース

読むことと、書くこと

無邪気な大人たちへ

『さむがりやのサンタ』/レイモンド・ブリッグズ/訳・すがはらひろくに/福音館書店/1974年刊

 何歳までサンタクロースを信じていたか、みたいな話になると、どうも困ってしまう。私には、サンタクロースが架空の人物だと知ってショックを受けた覚えがない。たぶん小学校に入る前だったと思う、ピンポンとチャイムが鳴って玄関に出てみると、あの格好をした人が立っていた。すぐに近所の子ども会の「ささきのおっちゃん」だとわかって、ホッとした。知ってる人だったからホッとしたのだ。「サンタクロースを信じている子ども」だったら、ガッカリしたんじゃないだろうか。

 そもそも、”ママがサンタにキスをした”というクリスマスソングで「そのサンタは、パパ」って歌ってるし。上に兄と姉がいたからかもしれないけど、私はどちらかというと最初から「そういうもの」として受けとめていた気がするなあ。……そんな風に話すと、だいたい不評を買う。特に小さい子どものいる人には「えー、世の中にそんな子どもいるの」みたいに言われてしまう。私には「サンタを信じる無邪気な子ども」というイメージこそが、無邪気な大人の幻想なんじゃないかと思えて仕方ないのだけど、今のところ共感を得られた試しがない。

 

 でも、『さむがりやのサンタ』という絵本は好きだった。手元の一冊は、もともと実家のリビングの本棚に挿さっていたものだ。三人の子どもが大きくなって、誰も開くことのなくなったこの絵本を、いつからか私は自室に隠匿した。一人暮らしを始めるときには、家族の誰にも断らず持ち去り、去年引越しをしたときも、特に考えることなく新居に持ち込んだ。奥付を見ると1978年第七刷。私は80年生まれだから、一番付き合いの長い本であることは間違いない。

 マンガのようにコマ割があって、朝一番、パジャマにガウン姿でお茶を淹れて「おいしいこうちゃがなによりだ」というコマは、母のお気に入りだった。着替えをして、トナカイにご飯をあげて……という具合に一日が始まって、ソリに乗って出かけて、例の仕事をして帰ってきて、お風呂に入ってご飯を食べて……という具合に一日が終わる。私は、明け方に牛乳配達の人とすれ違って「まだおわらないのかい」「ほとんどすんじまったよ」と交わす場面が好きだった。

 久しぶりに開いてみて笑ってしまったのは、最後の一コマだ。水色の縞模様のパジャマを着たサンタクロースが、ベッドのなかからこちらを向いて一言。

「ま、おまえさんもたのしいクリスマスをむかえるこったね」

 私は大人になった今でも、こういう話が大好きなのだ。作りものの世界の一箇所に裂け目が入っていて、あちら側とこちら側がふわっとつながっているような”おはなし”が。

 

 数年前、甥っ子がまだ小さい頃、『さむがりやのサンタ』を探したのに見つからなかった、という話を姉から聞いたときはギクリとした。私が持ち去ったことを白状して謝ると、新しいの買ったからいいよと許してくれた。

 表紙も中身もシミだらけ、剥がれた頁をセロテープで留めた箇所もある。持っていた他の絵本は甥っ子にあげたのに、これだけ例外としたのは、第一に汚かったからだ。でも、それだけが理由ではなかったんだろうな、きっと。

 確かな記憶はないけれども、私はたぶん、この本でいくつかの文字を覚えたんだと思う。というのも、文字のほとんどがフキダシのセリフだから、いわゆる絵本の文章と比べて格段に判読しやすい。母親や幼稚園の先生に読んでもらうのではなく自分で本を読むことを覚えた、あちら側の世界とこちら側の世界を行き来するおもしろさを初めて味わった。もしそうだとすると……。

 私は「そういうもの」としてのサンタクロースから、わりと素敵な贈り物をもらったことになるんじゃないだろうか。彼の実在を信じる無邪気な子どもではなかったために。そんな子どももいるんだよ、と小さな声で言っておきたい。

もし本当にサンタクロースがいるなら。ウクライナパレスチナの子どもたちに何か届けてほしいと思う。

 

小説の定義について

『雑文集』/村上春樹/新潮文庫/平成27年刊

 フリーライターをしていた頃、私の書いたものを読んで「小説を書いたら」と言う人がたまにいた。そういう人はおそらく小説という形式を文章表現の最上位と捉えていて、「あなたにはそれが書けるよ」という褒め言葉として言ってくれたんだと思う。それを真に受けて小説を書いたり、どこかの編集部に持ち込もうとか新人賞に応募しようとか、そういう野心も余裕も私にはなかった。それに、小説だろうとエッセイだろうと、日記だろうと何だろうと、おもしろいものはおもしろいし、つまらないものはつまらない。形式は別は何でもいいじゃないかと思っていた。

 だから、ある文芸誌で小説家ではない人に小説を書かせる特集を組むとのことで依頼が来たときは、いつものクセで深く考えず引き受けてしまった。結果は散々で、小説を書こう、小説にしようと思って手を加えれば加えるほど、そこから遠ざかっていくように感じた。

 当時は依頼があれば大概引き受けた、自分に書けるか書けないかなんていちいち考えなかったから、出来のいい原稿もあれば不出来な原稿もある。それはもう、そういう仕事なんだと割り切っていた。でもあの原稿だけは、今でも、思い出せば原稿料をもらったことが恥ずかしくなる。

 小説って、何なんだろうなあ。

 村上春樹さんがジャズについて書いたエッセイを読んだときも、そんなことを考えるともなく考えた。和田誠さんと一緒に選曲したコンピレーションCDのライナーノーツに掲載されていたエッセイで、CDは人の家に置いてきてしまって手元にないけれども、文庫本『雑文集』にほぼ同じ文章が収められている。

 ジャズってどんな音楽ですか、という質問への答えを探す形で、ジャズバーを経営していた頃の思い出が綴られていく。店には基地のアメリカ兵がたまにやってきた。そのなかの一人は何度かビリー・ホリデイをリクエストした。彼は日本人の女性と一緒で、二人は友達とも恋人ともわからない、見ていて気持ちの良い距離感で酒を飲んでいた。

 僕は今でも、ビリー・ホリデイの歌を聴くたびに、あの物静かな黒人兵のことをよく思い出す。遠く離れた土地のことを思いながら、カウンターの端っこで声を出さずにすすり泣いていた男のことを。その前で静かに融けていったオンザロックの氷のことを。それから、遠くに去っていった彼のためにビリー・ホリデイのレコードを聴きに来てくれた女性のことを。彼女のレインコートの匂いを。そして必要以上に若くて、必要以上に内気で、そのくせ恐れというものを知らず、人の心に何かを届かせるための正しい言葉をどうしても見つけることができなかった、ほとんどどうしようもない僕自身のことを。(「ビリー・ホリデイの話」より)

 そして「こういうことがジャズなんだ、そうとしか答えられない」と締めくくる。

 このエッセイから(もしくはジャズという音楽から)、孤独という言葉を連想するのは私だけだろうか? 孤独という言葉を使わずに孤独を表している、少なくとも私はそう感じた。

 昔お世話になっていた先生は、小説と批評の違いについてこんなことを言っていた、「的を射抜くのが批評。小説は、読者に的を射させないといけない」と。このエッセイは、まさに読者に(私に)孤独という的を射させている(もちろん的外れの可能性もあるけど、とりあえず的は的だ)。そして、これは小説ではない。だからつい考えてしまうのだ、小説って何なんだろうなあと。

『雑文集』にはエッセイのほかにも、受賞の挨拶とか結婚式の祝電、他の作家の文庫に寄せた解説など、さまざまな文章が掲載されている。わりとどれも、正直さを感じさせる文章だ。村上春樹さんのいくつかの長編小説と比較してみると、もしかすると小説って「正直な人がなるべく正直に書いた作り話」なのかもしれないなあと思う。

 とりとめのない思いつき、検証しようのない仮説だ。でも、あのとき(あの恥ずかしい原稿を書いてしまったとき)のことを思い出すと、どうせ小説なんて書けやしないんだから、小説じゃなくてもいいからせめて、もう少し正直に書けばよかった、とは思う。

各章の扉絵は和田誠さんと安西水丸さん。巻末には二人の対談も載っている。豪華だ。

 

昔の話と、もっと昔の話

『波うつ土地・芻狗』/富岡多惠子/講談社文芸文庫/1988年刊

 本を読むことはどこまでも個人的な行為だから、自分以外の誰かに本を勧めることは難しい。その逆も然りで、誰かに勧められたものを読むときも、過剰な期待は相手にも自分にもしないようにしている。かなりの例外として舌を巻いた(つまり、ピッタリとそのときの自分の好みだった)のが富岡多恵子の小説で、勧めてくれたのは大学の先生だった。

 文芸評論の分野で仕事をしていた人だから、参照されるライブラリが豊富だったことはもちろんだと思う。加えて、私はその先生のゼミでコラムや小説を書いて提出していたから、読書傾向は把握しやすかったはずだ。しかし、それにしても……。

富岡多恵子、おもしろかったです」

 私が仏頂面で感想を告げると、先生はフンと鼻から息をして言った。

「そう? それはよかった」

 見透かされたような気持ちで、私は少し口惜しかったし、その分だけ先生は得意気に見えた。20年以上前のことだ。 

 この小説のどこがそんなに、グッと来たんだろう? 改めて頁を開くと、あ、ここだ、それにここも、と思う。たとえば冒頭、ドライブに出かけた男女の会話。

「いやあ、ぼくは出ていったらいつ帰るかわからないから、うちのはさっさとメシ食っていますよ」
「そうですか、それなら休んでいきましょう。でも、わたしは若い女性とはちがいますからコーヒーを飲むだけじゃなく、ちゃんとモーテルへいこうといっているんですよ」
「ご主人が心配しますよ」
「わたしの夫が心配するかどうか心配するのはわたしで、あなたは関係ありませんけどね」
 クルマはくる時とは別の道をいくようだった。(『波うつ土地』より)

 いわゆる不倫とかいわゆる情事とか、そういう湿度がまったくない。エロスもロマンスも何もない、どこまでも乾いているところが良い。自動車を「クルマ」、恋愛を「レンアイ」と書く、カタカナの使い方も読んでいて気持ちよかった。そしてその乾いたテキストから不意に濃密な一滴がこぼれる。「わたしは、『ただ、たんに生きている』と思っている。できることなら、もっともっと、『ただ、たんに生きている』状態になりたいと思っている」……女の色気ではない、いきものの色気だと、そんな風に思ってこの頁のスミを折ったのを思い出す。

 こういう小説を、二十歳を少し過ぎた小娘に勧めた先生は、その本性を見透かしていたはずではなかったか? それとも、それは本性ではなく歳とともに変わる一過性の傾向に見えたのだろうか?

 というのも、後年になって先生は私にある種の湿度を要求した。少なくとも私は期待されているように感じた。

「時間の問題だと思いますけど」

 乾いた気持ちで口走ると、先生はぎょっとしたような顔で聞き返した。

「何が」

 始まるのも終わるのも時間の問題だと思いますけど、それでも始めますか。アーソーですか。……小説に出てきたカタカナのフレーズを、私は心の中で反芻した。それももう10年以上前のことだ。

 富岡多恵子を勧められたこと、その後に起きたことをつらつら思い出すと、やっぱり、人に本を勧めるのは難しいと思う。たぶん、特に小説は。勧めてもハズれるのが大概だし、万一的中したなら、それはそれで厄介だ。期待し過ぎてはいけないのだ、相手にも自分にも。

今年4月に他界。いろんなジャンルで活躍した人で、作詞・富岡多恵子、作曲・坂本龍一のCDもある。

意味とモラル

『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』/ヴィクトール・E・フランクル/霜山徳爾訳/みすず書房/1961年刊
『夜と霧 新版』/ヴィクトール・E・フランクル/池田香代子訳/みすず書房/2002年刊

 新型コロナウィルス感染症が蔓延して、政府が初めて緊急事態宣言なるものを発令した直後のことだった。マスクや消毒液に加えて食料品も品薄になり、ネット上ではトイレットペーパーが転売されていた。

「いいこと思いついた」

 当時の上司が突然そう言って、オフィスから出ていくと、両手にトイレットペーパーを抱えて戻ってきた。

「やった、やった。これでしばらくはもつでしょ」

 還暦を過ぎた人のはしゃぐ声を背中に聞きながら、私は自分の顔が歪んでいくのを感じた。こういう上司の下で働いていることに、瞬間的にうんざりしてしまったのだ。どれだけトイレットペーパーに困っていたか知らないけど、れっきとした窃盗だ。そんなに嬉しそうに、楽しそうにしないでほしい。せめて部下に見えないところでやってほしいと。

 ……思い出してみると、あんな些細なことで何をそれほど苛立っていたのかと思う。でも、あの頃はその些細なイライラが積み重なっていた。モラルがない! 心の中でそう叫んで、無性に読みたくなったのが『夜と霧』だった。

強制収容所における一心理学者の体験」というのがドイツ語原題の直訳だそうで、学生の頃、講義テキストの一つとして読んだのが最初だった。第二次世界大戦下で起きたユダヤ人の虐殺。強制収容所の中で行われていたこと。徹底的に自由を奪われて、死の間際に追い詰められたときに、人間らしい行動をとる人と、そうでない人の違いって何だろう? 自分は、どこまでモラルを保てるだろうか。……そんなことを考えた覚えがある。

 学生の頃に私が手に取ったのは霜山徳爾さんの訳(以下、旧版)で、ほどなくして新版が出版された。旧版で満足していた私は、長らく新版を手に取ろうとはしてこなかったけれども。初めて、新版を読んでみようと思い立った。

 これらすべてのことから、われわれはこの地上には二つの人間の種族だけが存するのを学ぶのである。すなわち品位ある善意の人間とそうでない人間との「種族」である。そして二つの「種族」は一般的に拡がって、あらゆるグループの中に入り込み潜んでいるのである。専ら前者だけ、あるいは後者だけからなるグループというのは存しないのである。この意味で如何なるグループも「純血」ではない……だから看視兵の中には若干の善意の人間もいたのである。(旧版「九 深き淵より」より)

 こうしたことから、わたしたちは学ぶのだ。この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、そのふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがってどんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。(新版「収容所監視者の心理」より)

 読み比べを試みて知ったのは、原書自体、1977年に新版が刊行されていたことだった。つまり単なる旧訳、新訳ではない。新版訳者の池田香代子さんは、パレスチナの地で戦闘が繰り返されていることを指摘し、加筆・編集に至った著者の思いを以下のように分析している。本書が「世界の人びとにたいしてイスラエル建国神話をイデオロギーないし心情の面から支えていた、という事情を、フランクルは複雑な思いで見ていたのではないだろうか」。

 ドイツ語を勉強していない私は、オリジナル・テキストの違いと、訳者によって生じた違いを区別することはできなかったが、パレスチナが再び爆撃を受けている現在、新版を読んでおいてよかったと感じている。

 ああいうことがなければ、読もうとしなかったかもしれないな。パンデミックがなければ。上司がああいう人でなければ。私がイライラしていなければ。

 フランクル博士は言っている、「どんな困難にも、意味を見いだすことはできる」と。当時の私はそれができていなかった。「この上司のおかげで『夜と霧』の新版を読めたんだから」と思うことができていたら、もう少しおおらかな気持ちで彼女と接することができていた、少なくともその可能性はあったように思う。

私が気になった違いは「囚人(旧版)」と「被収容者(新版)」。原書で使われている単語が違うのだとしたら「訳者あとがき」で触れられていないのは不自然な気がするし、同じ単語だとしたら意訳し過ぎな気もする。結局わからない。

 

恋愛小説と恋愛観について

『神様のボート』/江國香織/新潮文庫/平成14年刊

 引越す前は、江國香織の小説は文庫とハードカバー合わせて十冊くらい持っていた。吉本ばなな山田詠美桐野夏生宮部みゆきも、読みたくなったらまた文庫で買えばいいと思って、古本屋へ引き渡す山へごそっと分類しながら、ふと思いついて避けたのが『神様のボート』だった。一冊くらいは、と思ったのだ。恋愛小説らしい恋愛小説を、一冊くらいは持っていこうかなと。

 引越しから一年半経つ間にまた増えた本の整理をしながら、そんなことを思い出して、パラパラ捲ってみて唖然としてしまった。恋愛小説と聞けば、ぱっとイメージするのは一対の男女の話だ。でも、ここには男の方がほとんど出てこない。主要な登場人物は母と娘で、男はその二人の会話や回想に出てくるだけ。話が進むにつれて、その不在感がみしみしと充満して母娘の生活を不穏なものに変えていく。これを「恋愛小説らしい恋愛小説」だと思った私の恋愛観って、なんなんだろう。

 改めて不思議だなと思うのは、男との再会を切望する母親が、娘を連れて引越しばかり繰り返していることだ。一つの場所に馴染んでしまったら二度とあのひとに会えない気がする、というのがその理由で、普通は逆だろうと思う。探す側の立場で考えれば、どうにか居所を探し当てたのに引越した後だった、という状況を想定しないはずがない。でもこの母親は「探す側の立場」で考えたりはしない。

--どうして?
 仕方なくもう一度訊いた。
--どうして引越しばかりなの?
 ママはあたしの髪に何度も唇をつけながら、
--ママも草子も、神様のボートにのってしまったから。
 と言ったのだった。
--神様のボート?
 訊き返したけれど、それ以上の説明はしてくれなかった。

 これは恋愛小説なんだろうか? 確かに「恋」は描かれているけれども「恋愛」となるとどうだろう? 恋愛小説と言っていいのかどうか、不安になってくる。

 恋と恋愛の違いについて、辞書にはどう書いてあるか知らないけれども、個人的な直感に従って言ってしまえば、一人でするか二人でするかの違い、のような気がする。そして私は、恋は知っているけれども、レンアイとなると、ちょっとよくわからないのだ。だからこの本を「恋愛小説らしい恋愛小説」だと、勘違いしてしまったのかもしれない。

 この人は、私がこの人の彼女じゃなくなっても私を好きでいてくれるんろうか。私は、私の彼氏じゃなくなってもこの人を好きでいられるんだろうか。そんな好奇心から、付き合っていた男の子と別れたのが二十歳の頃だった。二十代の終わりには、一番好きだった人から一番好きだと言われて、あまり嬉しくないことを発見した。その人の目に映っているのは、実際の私より二歩くらい横にずれた幻のようなものだと感じて、私は自分自身をその幻に同化させることができなかった。

 やっぱり、私にはレンアイはよくわからない。少なくとも、運動音痴で方向音痴であるのと同じ程度には、恋愛音痴であるらしい。

 私がこのジャンルの小説で他に思いつくのは、絲山秋子さんの『ばかもの』だ。一対の男女が描かれていたはずだが、一度別れてから再会するまでが、やっぱり長い話だったと記憶している。引越しで手放してしまったので、そのうち文庫版を買ってみようかと思う。恋と恋愛の違いについて、もしくは私の恋愛観の空虚さについて確認するために。

カバー写真はホンマタカシさん。穏やかな狂気という感じで、小説にぴったりだと思う。

憲法と私

『落ち葉の掃き寄せ 一九四六年憲法−その拘束』/江藤淳/文藝春秋/昭和63年刊

 中学校の社会科の教科書で現憲法の九条を読んだとき、私は「要するに、誰かを殺すか自分が殺されるかの二択に迫られたときは、自分が死ねってことなんだな」と理解した。それは、前の戦争で他の国の人たちを殺したことの報いってことなんだなと。30年くらい前の話だ。

 今はどうなんだろう、どんな風に教えているんだろう。そのうち甥っ子に教科書を見せてもらおうと思いついて、はたと疑問がもたげる。教科書を挟んで私は、甥っ子とどんな話をするつもりなのか。甥っ子から質問されたら、きちんと答えられるか? どうもあまり自信がない。

 現憲法はGHQによって起草されたこと、いわゆる「押しつけ憲法」だったと知ったのは大学生の頃で、「先に言ってほしかったなあ」というのが第一の感想だった。中学校ではテスト対策として前文と九条を暗記させられたけれども、率直に言って「変な文章だな」と思ったものだ。もとが英文だった、それを翻訳したと聞けば納得がいく。加えて「前の戦争の報い」というのも「懲罰」だったと理解したほうがより現実的だ。

 それで大学生の頃の私は、「自分の国の憲法は、自分たちで作るべきだろう」と思いながら、「成立過程がどうあれ占領終了後も半世紀以上改憲されなかったということは、日本人がそれを自分たちの憲法として受け入れてきたってことだ」と聞けば、「それもそうか」と思う、改憲とも護憲ともどっちともつかないままでいた。加えて、アメリカの戦争に日本国内の米軍基地が活用され、自衛隊が海外派遣される現実を見ると、「憲法がないがしろにされている状態で、憲法だけ変えても何も変わらないんじゃないの」という気がしていた。

 その後も体系的に勉強したわけではない。その時々の思いつきで関連の本をいくつか読んだ限りではあるけれども、憲法九条の問題は「主権」の問題だ、というのが現時点での私の立場だ。日本という国は、軍事的な主権(選択肢)がないこと。九条は主権を制限するものの一つではあるけれども、それを変更すること(交戦権を認めること)は主権の回復とイコールではないこと。……私が甥っ子に説明できるとしたら、このくらいまでだと思う。

 では主権とはなにか、と質問されたら、以下引用の後半部分を、なるべく噛み砕いて説明したい。あまり自信はないけれども。

「平和主義」運動についていえば、それは武力のかわりに「絶対平和」という点で万邦に冠絶しようという急進的な心情のあらわれであり、「中立主義」とは、結局世界支配のかわりに国際的な権力関係から離脱したいという願望の政治的表現にすぎない。
 しかし、実際には「平和」とは戦争を回避する努力の継続ということにほかならず、この努力が生かされるのは相対的な国際関係のなかにおいてである。万邦にさきがけて、などということが可能なわけではない。また、「中立」とは、おそらく東西二大勢力のいずれにも荷担せず、恒に紛争のらち外にいるという特権的な位置のことではなく、問題に応じてどちらを支持するかという判断を留保する努力のことであろう。(「”戦後”知識人の破産」より)

 ちなみに、いま自民党公式サイトに掲載されている憲法改正草案には、私は反対だ。反対派の指摘する緊急事態条項追加はもってのほかだけれども、それを除いて国民投票にかけられたとしても、私は反対票を投じる。

 先の大戦で日本軍の戦没者過半数は餓死だったわけで、自衛隊を「国防軍」と改称するなら、セットでやらなければならないのは食料自給率の回復とエネルギー問題の改善だと思う。そんな動きがないということは、少なくとも改正草案の九条追加事項が目指すところは、国防ではないし、ましてや主権の回復でもない。

 何が目的なんだろう? できれば、今度こそ、せめて先に言ってほしい。

江藤淳の「占領三部作」は保守改憲派に引用されることが多いけれども「押しつけ憲法だから改憲するべき」みたいな単純な話ではない。「戦争か平和か」の二元論でもなく、60年日米安保闘争の頃から一貫して「主権の回復」を論じていたことを、及ばずながら強調しておきたい。

 

少年の孤独、中年の孤独

『海辺のカフカ』上下/村上春樹/新潮文庫/平成17年刊

 私たちが中学生だった頃にはなかった言葉の一つに「陽キャ陰キャ」というものがある。私たち、というのは年子の姉と私のことで、中学生の頃の姉はまさに「陽気なキャラクター」だった。
「今でも職場で言われるもん、○○さんみたいな根っからの陽キャにはわかんないですよ、とかさ。でも、陽キャ陽キャで大変なんだよ、周りの期待に応えなきゃってプレッシャーと常に戦ってるんだから」
 そんなプレッシャーは身に覚えがない。ということは、私は少なくとも「陽キャ」ではなかったわけだ。

 その日は甥っ子と三人で昼ご飯を食べた後、甥っ子だけ先に帰して二人でカフェに寄った。姉の息子は、性格はどちらかというと私寄りだ。
「もう、見てるとじれったいっていうか、歯痒いっていうか。甘いんだよって言いたくなる。世の中、もっと厳しいんだから」
 姉は姉で、息子のことを心配している。私は私で、学校でも家でも「陽キャ」に押されて肩身を狭くしているであろう甥っ子に同情せざるを得ない。
 同じ年齢で、同じ制服を着ているのに、目立つ子と目立たない子がいること。同じ教室で同じ教科書で授業を受けているのに、理解の差が開いていくこと。体の成長に頭の成長が追いつかない、もしくはその逆。誰かと比べられ、自分もまた誰かと自分を比べる。……中学生の頃を思い出すと、たしかに窮屈だった。

「まあでも、母親にできることってあんまりないかもしれないよ。あの子はたぶん、初めて孤独を体験しているわけだからさ」
 ほとんどジュースのようなモスコミュールを姉が舐める間に、私ばビール一杯と白ワインを二杯飲んだ。
「放っておくしかないんじゃないかな」

 姉に対しても、甥っ子に対しても、薄情な言い方になってしまったかもしれないなあと、帰りの電車の中で考えた。そもそも、私はだいぶ昔に少女だった記憶はあるけれども、少年だったことはない。少女の孤独と、少年の感孤独は、やっぱり違うものだろうか。

 少年が主人公の小説でも読んでみようかと思いついて、手に取ったのが『海辺のカフカ』だった。学生の頃に一度読んだものの、当時の私は小説の中に描かれる超常現象というものが苦手で、イマイチついていけなかった。したがって内容もあまりよく覚えていない。15歳の少年が主人公だったことくらいしか。

「僕らがこれから行こうとしているところは、深い山の中にあって、快適な住まいとはとても言えない。君はそこにいるあいだ、たぶん誰にも会わないだろう。ラジオもテレビも電話もない」と大島さんは言う。「そんなところでもかまわないかな?」
 かまわない、と僕は言う。
「君は孤独にはなれている」と大島さんは言う。
 僕はうなずく。
「しかし孤独にもいろんな種類の孤独がある。そこにあるのは、君が予想もしていないような種類のものかもしれない」
「どんなふうに?」
 大島さんは眼鏡のブリッジを指先で押す。「なんとも言えないな。それは君次第でかわってくることだから」(第13章より)

 姉が息子を理解するにあたって、もしくは甥っ子が自分自身を理解するにあたって、何か手がかりになるような言葉、文章はあるだろうかと思いながら読み進めたけれども。まあ、小説というものは往々にして実用には向かない。

 ただし、彼もいつか、テレビも電話もインターネットもない、誰とも会わない山の中のようなところで数日過ごしてみると良いのかもしれない、とは思う。小説の中の少年は、小川の水を汲んで簡単な食事を作り、雨水で体を洗い、小屋のデッキで本を読み、森を散策する。誰とも会わない代わりに、言ってみれば自分自身と対話をする。

 たしかに孤独にはいろんな種類があるようで、私はそのいくつかを知っている。いくつかしか知らないけれども、その中では、孤独なのにそうでないフリをしなければならない状況が一番苦しかった。一人になってしまえば、少なくともそういうフリはしなくて済む。

 甥っ子は、おそらくはまだ自分がいる状況や自分の心情に、名前を付けてはいない。自分で自分の孤独を発見する頃に、できるだけ一人で過ごす機会をあげるといいんじゃないかな。次に姉に会ったら、そう話してみようと思う。陰気なキャラクターの役割として。

もう一人の主人公“ナカタさん”は、字が読めなくて、猫と話ができる。私が読んだ村上春樹の小説の中では、一番魅力的なキャラクターだと思う。

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