ライターズブルース

読むことと、書くこと

お知らせ(ブログタイトルの変更)

 ブログを始めてだいたい一年になります。だからというわけではないけど、タイトルを改めました。

(旧)捨てられない本

(改)ライターズブルース

 当初は、何を書くか毎回考えるのは大変そうだなと思ったことと、ちょうど引越しで大量に本を処分した後だったので、手元に残った本について書くことにしました。だいたい週一回、50冊分くらいやってみた結果、本棚の整理、それと連動した頭の整理になった気がします。

 引越しで手元に残した本(捨てられない本)はまだまだあって、それらについては今後も書いていくつもりですが、同時に、最近買った本についても書きたいと思うことが増えてきました。「引越しで捨てられなかった本」という制限を外して、自分が何を書こうとしているのか考え直してみて、タイトルを改めることにしました。より漠然としたタイトルになってしまったので、「ブログの一言説明」欄に「読むことと、書くこと」と入れてあります(それでもまあ、だいぶ漠然としていますが…)。

 

──以下は「このブログについて」と重複します──

 じつはブログを始めるよりも、ドメインを取得したのが大分前になります。そのときは、フリーライターという仕事を辞めて数年経って、そろそろ何か書こうかなあとぼんやり考えてはいたものの、何を書くかは決めていなくて、ただなんとなく「ライターを続けていたら書けなかったことを書くことになるんだろうなあ」と思いました。それで「writersblues.jp」というドメイン名にしました。

 ブログタイトルも最初から「ライターズブルース」にしておけばよかったようなものですが、「捨てられない本」について書くことによって、ライター時代に考えていたこととか、それを辞めようと思った理由のようなものについても振り返ることができたので、まあそれはそれでよしとしようかと。

 今後も基本的には何かの本を一冊、題材とするつもりです。どうやら私は、良い原稿を書こうとした結果、書く仕事を辞めることになったわけで、そういう人が読みながら考えて、考えながら書けば、それはたぶん「ブルース」と称するもの(上手下手は別として)になるんじゃないかなあと、相変わらずぼんやり思っているところです。

2024年3月

こんな具合にぼんやりと。

20年越しの「編集」考

『圏外編集者』/都築響一/朝日出版社/2015年刊
同/ちくま文庫/2022年刊

 文学フリマというイベントが初めて開催された年、私が在籍していた大学のゼミでも、作品集を出品しよう、ということになった。自分たちの書いた小説(のようなもの)を一冊にまとめるにあたって、タイトルをどうするか、表紙デザインや本文レイアウトを誰が担当するか、小説以外にどんな記事を入れるか等々、いわゆる編集という作業を学生同士であれこれ話し合いながら進めた。

 学期末になると、教授が招いた四、五人の編集者が講評をしてくれた。質疑応答の際に挙手をして「編集の仕事って、結局のところ何ですか?」と質問したのは、なんとなーくソレをやってみたけれども、ソレがなんであるか、わからなかったからだ。

「著者と伴走することだと思います」

「いろいろな作業をするので一口には言えない」

「締め切りを設定して、進行管理すること」

 そっかナルホド、と納得できる答えは得られなかった。相手はプロの編集者だし、こちらはただの学生だし。きっと私の質問の仕方がまずかったんだな、と思った。あれから二十年以上経つ。

 就職が決まらないまま卒業して、フリーライターという肩書きで十年少々世渡りをして、それを廃業して数回の転職をして。今になって思うのは、もしかすると彼らだって「編集とは何か」なんて、わかっていなかったんじゃないか。

この本は「売れる企画を作る」のにも「取材をうまくすすめるコツ」にも、まして「有名出版社に入る」のにも、ぜったい役立たない。がんばればがんばるほど業界から遠ざかってしまった僕のように(2015年のいま、持っている連載は2つしかなくて、ひとつは月刊、もうひとつは季刊誌という有り様だ)、むしろ自分が人生を賭けてもいいと思える本を作ることが、そのまま出版業界から弾き出されていくことにほかならない2015年の日本の現実を、「マスコミ志望の就活」とかに大切な人生の一時期を浪費している学生たちに知ってほしいだけだ。給料もらって上司の悪口を言いながら経費で飲んでる現役編集者たちに、出口を見せてあげたいだけだ。(「はじめに」より)

『圏外編集者』は刊行当時に店頭で手に取ったものの、結局買わなかった本だ。その頃の私は、出版業界というものを対象にライター根性を発揮してあれこれ調べまわった挙句、「不毛地帯」との結論に至りつつあった。そもそも都築響一さんは、私から見れば「ギョーカイど真ん中」の人であり(朝日新聞で書評を書いていたし、都内のちょっと変わったクラブやラウンジの内装やら何やらで名前を聞いたりもした)、そういう人が圏外に弾き出されていく現状を、もうこれ以上は知りたくない、お腹イッパイ、という心境だった。

 最近、散歩がてら訪れたブックカフェの本棚で、再びその本と目が合った。ここ数年は出版と関係のない仕事をしていたからか、ある種の懐かしさを感じて頁をめくってみると……。

──毎朝毎晩、服や靴選びに凝りまくるファッショニスタ(笑)だって、毎晩の夕飯に選び抜いたワインがないとダメ、みたいな食通だって少数派だ。多数派の僕らは、どうしてそういう少数派を目指さなくちゃならないのだろう。

──ふつうは泊まれない一流ホテルや旅館の本がいくらでもあって、ふつうに泊まれるラブホテルの本が一冊もない。テレビを見ても、雑誌を読んでも、紹介されているのは自分の小遣いでは一生泊まれないような宿ばかり。

──難しい現代詩は読んでもわからない。でも夜中に国道を走っていて、ヘッドライトに浮かんだ『夜露死苦』や『愛羅武勇』なんてスプレー書きを見てドキッとしたり。

 ……頁をめくる手が止まらない。買って帰ってその日の夜に読み切って、布団の中で考えた。編集ってたぶん、既存の何かに対して、その価値を上書きしてパッケージングすることだ。何にどんな価値を見出すか、それを「編集のセンス」と呼び、商品として流通させるためのやりくりを「編集のスキル」と呼ぶんだと思う。

 狭くてごちゃごちゃした東京の若者の部屋を撮りまくった写真集も。吉祥寺のラブホテルの屋上に設られた「自由の女神像」みたいなB級観光スポットのガイドブックも。ラッパーのリリックや死刑囚の俳句を集めた詩集も。都築響一さんって「ギョーカイど真ん中」というより「編集ど真ん中」の人だったんだなあ。

 ブックカフェ「惣common」では新品も古本も同じ値段で売っている、「読書を通した経験や感動は変わらない」から。本棚は独自のテーマで分類されていて、『圏外編集者』は「はたらくを考える」という棚に挿さっていた。ここにも「編集」がある。

テラス席は北向きで、建物の影が本を読むのにちょうど良い。本から目を上げると竹林が、ソファに首を預けると青空が。読み終わった本は七掛で買い取ってくれるそうなので、また行こう。

男の◯◯、女の◯◯

『女の絶望』/伊藤比呂美/光文社文庫/2011年刊

 兄や姉と一緒に『ルパン三世』の再放送を見ていた頃、オープニングソングで「お~とこには~じぶんの~セェカァイがぁある!」というBメロに差し掛かると、子ども心に「女にはないのかなあ」と思ったものだった。二十代になると、カラオケで『男の勲章』を熱唱する先輩に「女の勲章って何だと思います?」と絡んだりもした。

 男の美学を歌った歌はあるけれども、女の美学を歌った歌はない(私が知らないだけかもしれないが)。「男の隠れ家」という雑誌はあるけど、「女の隠れ家」という雑誌はない。塩野七生さんのエッセイにも、「男のロマンという言葉があるけれども、同じことを女がやると、どういうわけかロマンにならない」と書いてあった。

「女の◯◯」の◯◯に当てはめて、しっくりくる言葉ってなんだろうかと、漠然とした疑問を抱えて生きてきたからだろうか。本屋で『女の絶望』という文庫本を目にしたときは、「まさか」という気持ちと「もしかして」という気持ちが入り混じって、中身を確認せずにはいられなかった。

 一頁目には「出囃子/カルメン前奏曲」の文字。「ええ、いっぱいのお運びでありがとうございます」という寄席風の口上。語り手は「伊藤しろみ」、地元の新聞で身の上相談の回答を書いている。毎週さまざまな相談が寄せられるが、海千山千を自負する「しろみさん」には、やはり女性からの相談が多い。夫婦の悩み、育児の悩み、セックスの悩み、不倫、更年期、親の介護……。

 結婚して四十年になる妻だった。夫は家庭的で、暴力もなく、浮気もせず、稼ぎもまあまあ、でも妻には、目に見えない不満がふつふつとたまっていた。
「休日など二人でどこかへ出かけて、疲れて帰ってきたときに、自分が立ち上がってお茶を入れる奴隷根性に絶望しています。それをごくあたりまえの事のようにのほほんとしている夫のことも憎らしくてたまりません」
 ね、ここですよ。絶望、と。
 この言葉だ、見つけたと思った。
 女の、女たちの、悩みを、不満を、不安を、しとつに集めて表現する言葉。
 ずっといいたかったンだが、心ン中から出てこなくて、ずっともやもやしていた言葉だ。(「皐月─おんなのぜつぼう」より)

「人」にわざわざ「しと」と江戸弁のルビをふり、オチには駄洒落を添える。詩人の肩書きを持つ著者が、言葉のテクニックを駆使して「女の絶望」を、軽く、軽く、ころがしていく。あまりに軽すぎて、数年前に手に取ったときは内容が頭に残らなかった。文章が上手すぎて残らない、そんなバカなことがあるだろうかと、不思議に思ったものだった。

 著者の伊藤比呂美さんは実際に、西日本新聞で「比呂美の万事OK」という人生相談を担当している。長寿連載で同名の単行本もあるが、あとがきによると本書はあくまでもフィクション。「伊藤しろみ」は「伊藤比呂美」ではなく、悩む人々もその他の登場人物も、架空の存在だという。

 しかしながら、心配のあまり「しろみさん」が直接電話をかけた女性が数年後、講演会に手作りのお弁当を差し入れしてくれたとか、回答欄で自分の苦境をグチると、手紙に二千円のお見舞金を同封してきた読者がいたとか。時には「ハッキリ言えば傷つけてしまうかもしれないなあ」とためらったり、「きれいごといってんじゃねえよ」と自分で自分に突っ込んだり。どうも、まったくのフィクションとは思えない。

 ここに登場する女たちに、「自分が女でなければ、と思ったことがありますか」と質問したら、たぶん全員「イエス」と答えると思う。生理で下着や服やシーツを汚してしまったとき。痴漢に遭ったとき。差別的な職場や家庭に身を置いているとき。人間関係がこじれたとき。男になりたいとか、男に生まれたかったと思うのではなく、「女でなければ」と思ってしまう。自分で自分の性を呪ってしまう。この世にはたしかに「女の絶望」と言って然るべきものがあるようなのだ。

「一抹の実を核につくった架空の存在、あるいは夢のまた夢。夢から醒めれば、ここに、しとりの、五十過ぎの、疲れたおばさんが、佇んでおります。あたくしです」──新聞の連載では採用できなかった手紙が、たくさんあったに違いない。あの手紙は忘れられない、あの手紙にも答えたかった。いや、回答するのではなく、一緒に悩んだり文句を言ったり、笑い合ったりしたい。……数年ぶりに再読してみると、技巧的な文章の根っこには、そういう汲めども尽きぬ思いが湧いて流れているように感じる。

 こんなに丁寧に転がしてもらえるなら、絶望も、悪くないかもなあ。勲章とか、ロマンとか、美学も隠れ家も、私は別に要らないや。

西日本新聞で連載中の「万事OK」、直近の相談内容は「夫の信仰が嫌い。言動が不快で憂鬱」……回答が気になる。デジタル版の無料トライアル、申し込んでみようかな。

 

新しい本、古い本。新しい言葉、古い言葉。

『文車日記−私の古典散歩−』/田辺聖子/新潮文庫/昭和53年刊

 たまには最近買った本の話を。と思ったわけではないけれど、小池昌代さんの訳による『百人一首』(河出文庫)がおもしろい。正月に甥っ子や両親とこたつを囲んでカルタ遊びをした後、本屋で見かけて何気なく買って以来、枕元に置いて寝る前にパラパラと楽しんでいる。

 小倉百人一首を解説した本は昔からいくつもあって、少年少女向けのマンガもあり、検索機能の充実したウェブサイトもある。小池昌代さんの本では、何といっても現代の詩人による訳詩がステキだ。たとえば私が好きな一首〈わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり〉、これが以下のように訳されている。

わが庵は/みやこの東南/こんなものさ/のんきなものさ/いいじゃないか/なのに世間の人々ときたら/世を憂しの宇治山/だなんて言う/はあ 勝手なことを(引用者注:「/」は改行)

 意味内容だけではなく詩情というものを訳すると、こんな具合になるのか。こうして住んでますよ、といった意味の「しかぞ住む」を、こんなものさ、のんきなものさ、いいじゃないか、と広げると、ぐっと大らかな感じがしてくる。

 訳詩に続く鑑賞文もおもしろい。たとえば〈これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関〉、ひっきりなしに人が行き交う関所の光景が目に浮かぶような歌であるが、作者の蝉丸は盲目だったという伝説がある。「いったい、どんな音がたっていたのだろうか」。光景を暗転させると音が、音ばかりでなく空気や匂いが広がっていく。

 訳詩と鑑賞文に導かれて元の歌を辿ると、五感と言語能力をフル稼働させて、たった三十一文字にさまざまな情趣を含ませた歌人の姿がぼんやり浮かぶ。すごいなあ。紙も墨も貴重だったからだろうか、一字一字が支える質量が現代の言葉とは違う。

 

 飽き足りずに最近『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買った。百人一首は本来、撰者である藤原定家が百首でもって作り上げた歌のクロスワードパズルであり、一首ずつ解釈しても仕方がない、という説があるそうだ。古典を愛好する著者はこの新説に賛同し、「名歌なのだろう、と中世以来、漠然とみんな思ってきたが、百人一首の中には、ずいぶん阿保らしいような愚作や駄歌がいっぱいある。私もそこが不思議だったのだ」……むーん、奥深いものなんだなあ。

 田辺聖子さんといえば小説もエッセイもおもしろい、散文の名手であるから、この本でも散文ならではのパワーが炸裂。一番天智天皇から始まって徐々に時代が下っていく歴史背景を伝えつつ、ところどころで現代の「与太郎青年」と「熊八中年」が登場。「坊さんがそんな、色っぽいことしてもええんですか」と茶々を入れたり「千年前の人の話と思えまへん」と共感したり。こちらも枕元に置いて、小池昌代さんの訳詩と行ったり来たりしながら、少しずつ読み進めている。

 

 百人一首はもともと母が好きだったおかげで、私が子どもの頃にも毎年お正月には家族でカルタ遊びをした。ときには遠くにある札をパシッと取らなければならないから、身体能力に優れた姉にはいつも敵わない。それでもお気に入りの歌がいくつかあって、その札だけは自分で取ろうと意地になったものだった。

 お気に入りといっても、歌の意味がわかるはずもなく、花鳥風月のめでたさや男女の恋の機微を解する年頃でもない。響きがいいとか覚えやすいとか、ただ単になんとなく。でも、それはそれで良かったのだ。

 昔の学生たちは「方丈記」や「平家物語」の冒頭の一章など、まる暗記させられたものでした。リズム感のある名文なので、若者はすぐおぼえてしまいます。みずみずしい若いあたまに刻みつけられた記憶は、一生消えません。
 そのうち二十代、三十代、四十代と生きるにつれて、その文章の意味を、年ごとに深く汲みとるようになります。わけも分らず暗記していたものがたえず新しい意味をもって生き返り、その生涯の血肉となります。古典というものはそういうものです。(「ゆく河の流れ」より)

 引用した『文車日記-私の古典散歩-』は、田辺聖子さんが愛する古典への思いを綴ったエッセイ集で、題材は万葉集古事記平家物語徒然草といった有名どころはもちろん、落語や江戸時代の戯画まで幅広い。年代順に並べて啓蒙する教科書的なところがまるでなく、歌を、物語を、ひたすらいつくしみ、いにしえの人々に思いを馳せている。

 この作家の他の本は、また読みたくなったら図書館で借りられるだろうと思って、引越しの際に手放した。このエッセイだけ手元に残したのは、いつかは何か古典を読みたくなるかもしれない、そのときはこの本が助けになるだろうと思ったからだ。いまだに現代語訳がなければ意味も拾えない門外漢のままだけど、著者によると百人一首を暗誦すれば「ふしぎと古文の文法がすらりと頭に入ってしまう」らしい。ほんとかなあ。

 甥っ子の中学校では、近く百人一首大会が催されるそうで、練習をしたいからと週末にカルタ遊びに召集された。甥っ子の手前、なるべく下の句まで聞いてから札を取ろうと思う。お気に入りの歌以外は。

手前の『ときめき百人一首』(河出文庫)は中学生向けの入門書。甥っ子用のつもりだったけど、文法とか修辞の解説がわかりやすく、自分用になりそうな予感。

修行と教育、もしくは指導

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(上)(中)(下)/ゲーテ/山崎章甫訳/岩波文庫

 編集者と原稿のやりとりをしていると、たまに「だったら自分で書けば」と思うことがあった。従ったほうが記事が良くなると思えば従うし、注文を受けての原稿だからなるべく意向に沿うように努めるけれども、山に登ろうとしている人に向かって海に行く道を教えるような指摘は少々対応に困る。自分で書けば、とはもちろん言えないから、海より山のほうが楽しくないですかーとそそのかしたり、海に行くと見せかけて山に登ったり。

 大学の非常勤で作文のワークショップを受け持つことになったとき、最初に考えたのはそのことだった。要するに、学生が書いた文章に対して良いとか悪いとか、感想を言うだけだったら誰でもできる。編集者とライターだったらともかく、講師が学生に「だったら自分で書けば」と思わせてはいけない。

 それで指導方針のようなものを考えたときに、まずはその学生が何を書こうとしているか、どんな文章を目指しているかをなるべく正確に読み取ろうと思った。それを最大最善のものとしてイメージして、目の前の文章を比べたときに、足りないところ、余計なところを検討して、より良く目的地に辿り着けそうなルートを提案する。そういうつもりで提出された文章を読んでみると、どの学生が書いたどんな文章もおもしろかった。

 たまに、目的地自体が誤っていると感じることもあった。たとえば、ただ単にカッコつけたいだけの文章。そういうときは「カッコいいね」と言った後で、「でも、この書き方だったらもっと別の内容も書けると思うよ」と新たな目的地を提案した。

 そういうやり方で、うまくいったと思えるときもあれば、そうでないときもあった。そもそも文章の書き方なんて、私が教えてほしいくらいなんだけどなあと、いつも思っていた。

 一言でいえば、あるがままの自分を残りなく育て上げること、それがおぼろながらも、幼い頃からのぼくの願いであり、目標だった。いまもこの考えは変わらない。それを実行する手段がいくらかはっきりしてきただけだ。(中・第5巻第3章より)

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』は、ドイツ教養小説の元祖として教わって、学生時代に一度読んだきり。覚えているのは、演劇に魅入られた若者が旅に出ていろいろ経験する、そんな程度のあらすじで、愛読したとか味読したとは、とても言えない。でも、上に引用した箇所だけは妙に印象に残っていた。「あるがままに育てる」という言い方は、語義に照らすと矛盾があるように見えて、不思議な説得力がある。

 最近、転職活動を始めた友人と話しているときに「修行」という言葉が出てきて(私もここ数年は転職を繰り返しているから、修行みたいなもんでさあ……という具合に)、何の気なしに頁をめくりながら思い出したのは非常勤時代のことだった。私があの頃やろうとしていたのは、たぶん、学生たちが書こうとしている文章を「あるがまま」に書かせることだったんだなあと。

 自分の文章に対しても同じことができたらいいのかもしれないが、自分が何を書こうとしているのかを見極めることは、どういうわけか、他人の文章と比べてかなり難しい。ここ数年の自分の転職歴も「あるがままの自分」を育てようとしてのことだと、言って言えないこともないけれど、自分の「あるがまま」を見分けることは、さらにもっと難しい。

 あるがままの自分を育てるってどういうことなのかなあと、読みながら考えてみたけれども、結局わからなかった。ブログを書きながら考えれば何かわかるかなと思ったけれども、今もわからないままだ。それに、どちらかというと今は、上に引用した箇所よりも物語の結末に惹かれる。

「この最高の幸福の瞬間に、あの頃のことを思い出させないでください」
「あの頃のことを恥ずかしく思う必要はありませんよ。素性を恥じる必要がないのと同じです。あの頃も楽しかったじゃありませんか」
(第8巻第10章)

 怒りや屈辱、失意も悔悟も経験した主人公に、旅の道連れが言う台詞だ。書くことや読むことをおもしろいと思ってもらえれば、それだけでいいんじゃないか。非常勤時代の最後のほうでは、そんな風に考えていたことを思い出す。

キリスト教の世界観に馴染みがないと、ヨーロッパの近代小説はイマイチ入り込めないなあと思っていたけれど。昔よりおもしろく読めたのは、それなりの修行の成果、ということにしておこう。

 

レシピ本大賞さんへ

『土井善晴さんちの「名もないおかず」の手帖』/土井善晴/講談社+α文庫/2015年刊

 レシピ本大賞というものが気になっている。今年はどの本が受賞するんだろうかと気にしているのではなくて、そのあり方が気になる。本屋大賞と比べて知名度も影響力も低い(ように見える)し、毎年9月の発表・授賞式もいまひとつ盛り上げりに欠ける(ように見える)のは、どうしてなんだろうかと。

 本屋大賞の設立は2004年。全国の書店員が「一番売りたい本」に投票するという選考方式は、従来の文学賞にはない明るさと新しさがあった。第一回を小川洋子さんの『博士の愛した数式』が受賞して「やっぱり書店員さんは良い小説を選ぶなあ」と思ったものだ。以降、特に気をつけてウォッチしていなくても本屋に行けば自然と「今年はこの本が受賞したんだな」と目に入るし、個人的には、毎年2回発表される芥川賞直木賞より「読んでみようかな」とか「あらすじくらいは知っておかないとな」という気にさせられる。

 一方、レシピ本大賞の設立は2014年。私がその存在を知ったのは、ここ2、3年のことで、受賞のオビが巻かれた本をいくつか店頭で手に取ってみたけれども、どういうわけかピンと来ない。購買意欲を刺激されない。調べてみると、こちらも書店員有志によって運営されているそうで、レシピ本にも賞を設けて市場を活性化させようという狙いは理解できる。しかしながら本屋大賞のように「なるほどなあ」と思えないのはなぜなんだ。

 実行委員の方がこのブログを見る可能性を鑑みて(ゼロではない)、いくつか提言をしてみたい。

 一つ目、部門が多すぎやしませんか。大賞と準大賞と入賞があって、それとは別にエッセイ、コミック、お菓子、子ども向け、プロが選んだ……去年から新たに「ニュースなレシピ賞」まで新設したのは、いかがなものかと思います。一口にレシピ本といってもいろいろあって一概に優劣をつけがたいことはお察ししますが、結局どれが大賞を受賞したのかわからない、店頭で目立たない。結果的に去年と同じ著者が部門を跨いで受賞しているのを見ると「またこの人か」と思ってしまいます。たとえば、単身自炊部門、四人家族部門、プロ部門、この三つでいかがでしょう。

 二つ目、実用書ならではの選考方法を取り入れませんか。一次選考は投票制で各部門3点ずつに絞る、二次選考では複数の選考委員がレシピを実践して、食べながら会議して決定する。料理や食事、話し合いの様子を動画で配信したり、写真を店頭ポップに使ったり、レシピ本らしい賞として育てていってほしいと思います。

 三つ目、ノミネートも書店員による推薦制にしてはいかがですか。現在は出版社からのエントリーを募っているようですが、残念ながら一部の出版社では「今が旬の料理研究家」にドシドシ本を作らせる粗製濫造の傾向が見られます。「出版社が売りたい本」ではなく「書店員が売りたい本」にこだわってください。私が言うのもナンですが、料理人にとってレシピはたぶん、修行、勉強、研究の賜物です。「ニュースなレシピ」などと宣伝して一過性の流行を作るのではなく、「ずっと売り続けたい本」を選考の基準にしていただいたほうが、著者と読者に益することと思います。以上。

 ……ちなみに私が「単身自炊部門賞」に推すとしたら、まずは『土井善晴さんちの「名もないおかず」の手帖』だ。土井さんのレシピは塩と砂糖、醤油とか味噌とか、だいたいどこの家にでもある調味料で作れる。特にこの本は、トマトと卵だけとか、キャベツとシラスだけとか、レンコンと卵だけとか、材料も二つ三つでできる料理がたくさん載っている。作り方はどれも簡単で、もちろんおいしい。青菜からレンコンまで、目次は食材のあいうえお順になっているから、野菜を余らせがちな単身世帯では持っていれば間違いのない一冊だと思う。

「名もないおかず」とは、身近な材料で作る毎日のおかずのことです。青菜を1わ買ってきたら、さあ、どうやっておいしく食べようか、ということ。料理名ではなく、素材ありきです。素材から始まるおかず作りの本、どうぞキッチンに置いて活用なさってください。(まえがき「名もないおかずとは」より)

 レシピ本大賞とは関係ないけど、ついでに提言をもう一つ。料理本の棚にブックストッパーを並べて、一緒に売ってみてはいかがでしょう。

『「名もないおかず」の手帖』は単行本と文庫版があって、私は知人からもらった文庫版を活用している。文庫ってかさばらないのはいいけど、開いたまま置いておけないのですね。そこでブックストッパーの出番。クリップ部分でページを挟んで重しで固定しておけば、本を見ながら料理ができる! 料理本と一緒に並べておけば、きっと売れると思うんだけど、どうかなあ。

ブックストッパー、ブックキーパー、ブックホルダー…いろんな呼称があるけど、私はトモエ算盤社製を愛用しています。二個あると両側から挟めて、より安定する。

追悼文についての覚書き

『友よ、さらば 弔辞大全Ⅰ』/開高健・編/新潮文庫/昭和61年刊
『神とともに行け 弔辞大全Ⅱ』/開高健・編/新潮文庫/昭和61年刊

 15年前に少々変わったなりゆきで、物故した陶芸家の追悼文を書いたことは前回に記した。当時その種類の原稿を書いたことのなかった私がまず参考にしたのが、開高健の編集による『友よ、さらば』『神とともに行け』だった。明治から昭和にかけての追悼文の選集で、たとえば昭和17年萩原朔太郎への追悼を三好達治が書き、昭和39年には三好達治への追悼を中野重治が、昭和54年には中野重治への追悼を佐多稲子が書いている。勝者も敗者もない懸命なリレーのようでもあり、時の奔流に言葉が浮かびあがった一瞬を捉えた写真集のようでもある。

 亡くなった人を悼む言葉に優劣をつけるなんて外道のすることだよなあと思いながらも、読めば心にすっと入ってくる文章とそうでもない文章があることは、どうすることもできない。当時の私は外道上等と開き直って、その良し悪しを分析したものだった。その結果、良い追悼文には「怒り」がある、と思ったことも前回に書いた。

 たとえば菊池寛直木三十五が亡くなる数日前まで囲碁を打ち、その勝敗を互いに記した表を家の壁に貼っていた。通夜の晩に誰かがそれを片付けてしまったことに気づいて、「自分はむやみに腹が立って、社員や女中を怒鳴りつけて探させた」。

 あるいは東条耿一。ハンセン病の隔離施設で共に闘病した北条民雄を看取った際、「私は周章てふためいて、友人たちに急を告げる一方、医局への長い廊下を走りながら、何者とも知れぬものに対して激しい怒りを覚え、バカ、バカ、死ぬんじゃない、死ぬんじゃない。と呟いていた」。

 私に確信に近いものを与えたのは佐多稲子から壷井栄へ贈られた言葉だ。

 壷井栄さん、三十数年のつきあい、ありがとう。あなたとおしゃべりをするときはもう失われました。そのことであなたとのおつきあいはもう終るのでしょう。けれども私のいる間は、あなたとのつながりはいろいろな形で残りましょう。私はそのことでむしろ苦しい。あなたと共にあった私は、私の中に残るにしても、あなたのうちにあった私は、永久に消えたことをおもうからです。(中略)
 あなたが私を語ってくれることはもう無いのです。私は不満です。

 佐多稲子という人は激しい感情をよくよく自制した文章を書く人だ、そういう人が敢えて選んだに違いない「不満」という言葉に、私は「怒り」に近いものを感じた。それを手がかりとして仮説を立て、自分の仕事を進める頼みとしたのだったが。

 良い追悼文には「怒り」がある……とも限らないかなあ、と今は思う。

 たとえば梶井基次郎が死んで、自らも病床にあった三好達治が寄せた詩も、心にすっと入ってくる、--「僕は考へる ここを退院したなら 君の墓に詣らうと」。林芙美子の死に「幻滅」という言葉を使った平林たい子の文章も良い、--「私達は、思いがけず二人とも文壇の人間になったが、私たちの夢はこんなことではなかった。もっともっと、崇高ですばらしい筈だった」。この本に入っているものではないけれど、思い出してみれば、甘粕事件で殺された伊藤野枝について書いた辻潤の文章も好きだ。江藤淳の遺書に応答した石原慎太郎の弔辞も、忘れられない。

 良い追悼文の条件なるものを外道なりに考え直してみると、率直であること、個人的であること、だろうか。15年前の私が「怒り」をキーポイントと捉えたのは、おそらくそれが元来個人的な感情であり、率直さをもって発露されるものだからかと思う。

 そしてそれは、もしかすると追悼文に限ったことではないのかもしれない。どんな目的の文章であれ、率直に、個人的に書くこと。それができたなら、もし次に誰かの追悼文を書く機会が訪れたとしても、アワアワと参考書を紐解くような真似はしなくて済むと思うのだけど。今はまだこの二冊は捨てられない。

『友よ、さらば』には55編、『神とともに行け』には50編所収。編者あとがきによると弔辞というものの特質は「たった一回しか書けない」こと。なぜなら「人はたった一回しか死ねない」。