ライターズブルース

読むことと、書くこと

ひと箱古本市の準備(その1)

「出版の明日はどっち?」フェアを検討中

 引越しから二年近く経って本棚に本が入りきらなくなってきたので、一箱古本市というものに参加してみることにした。一箱古本市は東京の谷根千谷中・根津・千駄木)から発祥してここ二十年くらいでほつほつと全国に広がった本のフリーマーケットだ。私も通りがかって覗いてみたことはあるけれども、出店するのは初めて。とりあえず折りたたみ式の椅子を買ってみたり、しばらく使ってないレジャーシートを広げてみたり。

 単に除却したい本を不規則に並べたのではつまらないから、いくつかカテゴリー分けをしてみようかと思う。カテゴリーその1は、名付けて「出版の明日はどっち?」。たとえば……。

 

『まちの本屋 知を編み、血を継ぎ、地を耕す』/田口幹人/ポプラ社/2015年刊

 独自のヒットを生みだしてきた盛岡駅構内のさわや書房フェザン店、店長によるエッセイ。「僕たちにとっては全国で売れている本であるかどうかは関係ないのです。他所で売れていても、僕たちの店で売れるとは限らないからです」

 

『私は本屋が好きでした あふれるヘイト本、つくって売るまでの舞台裏』/永江朗/太郎次郎社エディタス/2019年刊

 表現の自由を標榜する業界でモラルハザードが起きてしまうのはなぜなのか。差別主義的な本が流通する「川上から川下まで」を取材。「『出版界はアイヒマンだらけ』というのが率直な感想である」

 

『「本が売れない」というけれど』/永江朗/ポプラ新書/2014年刊

統計データや関係各所へのインタビューから「出版不況」の実態を読み解くルポルタージュ「いちど破滅してしまって、焼け野原になって、何もないところからまた始めればいいんだよ」

 

『”ひとり出版社”という働きかた』/西山雅子/河出書房新社/2015年刊

 出版における「小商い」は可能か? ひとりで出版社を立ち上げた10名へのインタビュー集。「本を絶版にしないで100年続けられること。その10分の1がようやく経とうというところ」(ミシマ社・三島邦弘さん)

 

『電子書籍で1000万円儲かる方法』/鈴木みそ・小沢高広(うめ)/学研パブリッシング/2014年刊

 Kindleセルフ出版のパイオニア、二人の漫画家による対談。既得権益を守ろうという動きが、結果的に自分たちの首を絞めているということに、いいかげん気が付いたほうがいいと思います」(小沢)

 

『本屋になりたい この島の本を売る」/宇田智子/ちくまプリマー新書/2015年刊

 東京の大手書店を退職し、沖縄で古本屋を開業した主によるエッセイ。「紙と紙の交換は、たぬきの葉っぱの化かしあいのようなものかもしれません。紙そのものに価値があるのではなく、価値があると信じる人がいるから価値が生まれるという点では、古本もお金も同じです」

 

『書籍出版経営の夢と冒険 普及版出版経営入門──その合理性と非合理性』/ハーバート・S・ベイリーJr./箕輪成男・編訳/出版メディアパル/2018年刊

 プリンストン大学出版局を率いた経営者による出版社経営の解説書。「ところで新しい技術のおかげで、次のことがはっきりしてきた。出版社が売っているのは本そのものではなく、本にふくまれるイメージであるということである」

 

『高校図書館デイズ 生徒と司書の本をめぐる語らい』/成田康子/ちくまプリマー新書/2017年刊

 高校の図書室を訪れる生徒たちと司書による、本をめぐる交歓。「これまで私に話してくれた生徒たちは、その本のなかに自分が自分であるというかけがえのない存在理由を見出しているようにも、私には思えます。だから話したくなるのだと思います」

 

 私自身は学生時代に渋谷の大型書店でアルバイトをして、たまたま本を出すことになってフリーライターを十年少々やった後、電子書籍関連の会社で一年少々経理をして、ここ数年はまったくの外野から出版業界を眺めている。のらりくらりした立場で、一つだけ確信を持っているのは、本の価値はすごく相対的だということ。

 誰かにとってはお金に代えられない大切な本も、他の人にとってはタダ以下の紙の束だ。音楽や映画と比べても、その差は著しいと思う。出版業界でお金が回っていないとしたら、本と人のマッチングがうまくいかず、ひとつひとつの本が潜在的な価値を発揮できていないからだろう。

 現に、せっかく出店するのだからポップでもつけてみようかと思って、印象的な箇所を抜き書きしてみたけれど。表紙だけで手に取ってもらって、先入観なしに読んでもらったほうがいいような気もするし。そもそも私、字が汚いし。読んでおもしろいと思ってくれる人に手渡すことができるかどうか、さっそくマッチングの難しさを体験しつつある。

「あおぞらほんの市」は鎌倉山惣commonさんで4月27日(土)開催予定。裏の竹林で筍を掘ったりもできるらしい。軍手も持っていこう。

産業と信仰心についての覚書き

『誰が音楽をタダにした? 巨大産業をぶっ潰した男たち』/スティーヴン・ウィット/関美和・訳/ハヤカワノンフィクション文庫/2018年刊

『誰が音楽をタダにした?』は1990年代から2010年代にかけて、音楽の流通形態がCDからストリーミング配信へと移り替わっていった舞台裏を描いたノンフィクション。日本語訳が出た頃に書店で手に取ったけれども、早川書房ならそのうち文庫にしてくれるだろうと思って、結局買わなかった覚えがある。当時の私は電子書籍関連の会社で契約社員をしていた。時給は東京都の最低賃金に近く、買いたい本は他にもあって、それきり忘れてしまった。

 最近になってようやく読んでみると、あの頃ケチケチしないで買えばよかったと思ったり、いや、読むのが今でよかったと思ったり。少し複雑な気持ちになってしまうのは、かつて自分が身を置いていた出版業界と、音楽業界を比べてしまうからだと思う。

 たとえば以下引用中の「mp3」を「EPUB」に、「CD」を「紙の本」に、「デジタルジュークボックス」を「電子書籍」に置き換えると、音楽業界と出版業界で同じようなことが起きていたと類推できる。ある地点までは。

「自分がなにをやってのけたか、わかってる?」最初のミーティングのあとにアダーはブランデンブルクに聞いた。「音楽産業を殺したんだよ!」
 ブランデンブルクはそう思っていなかった。mp3は音楽産業にぴったりだと思っていたのだ。ただその経済的なメリットを理解してもらえるかどうかの問題だった。でもアダーにはわかっていた。デジタルジュークボックスが普及しないのは、ライセンスをもらえないからだ。音楽産業はデジタルジュークボックスがCDの売上を食うことを懸念していて、アダーはそうではないことをこの2年間だれにも説得できずにいた。レコード会社の考え方を、アダーはブランデンブルクに説明した。CDの高い利益率、著作権への頑なな姿勢、インターネット全般と特に未来の録音技術への無関心、というよりそれをあえて知ろうとしないこと。(中略)音楽会社はCDと固く結ばれていた。結婚のように、病める時も健やかなる時も。(「第4章 mp3を世に出す」より)

 ある地点で、音楽業界はCDに見切りをつけて定額制もしくは広告制の配信事業に舵を切った。アメリカと日本では多少差があるにせよ、少なくとも日本の出版業界は、全国の書店数が年々減少していく中で未だに電子と紙の本をほぼ同価格でバラ売りしている。その違いは、何なんだろう?

 

 電子書籍関連の会社に勤めていた当時のことを思い出すと、一番憂鬱だったのは会議の議事録を作成することだった。出版社から出向中の役員は、出版社が損をしないように。書店から出向中の役員は、書店が損をしないように。そんな話ばかり。テーブルの隅でキーボードを打ちながらつくづく思った。ここには「著者」も「読者」もいないんだなと。

 その少し前までフリーライターをしていた私は、不毛だなあと思いながら、議事録は丁寧に作った。やらなきゃいけないことは他にもあるし、そもそも内輪向けなんだから、ほどほどでいいのに、その加減がわからない。正確で簡潔で読みやすい議事録を目指してしまう。こんなものに時間をかけるなんて、ライターとしても会社員としてもクソだ、と思いながら。

 その後、出版と関係のない会社でも同じような経験をした。どういうわけか私は、文章に関わることでいい加減なことをすると、自分で自分をダメにしてしまうような気がする。これはもう、ある種の信仰心のようなものなんだろう。

 出版社や書店から出向していた彼らは彼らで、別の何かを信仰していたのかもしれない。経済的な豊かさとか、組織内での立ち位置とか、社会的な名声とか。私が無自覚だったように彼らも無自覚で、私が私の信仰をどうすることもできなかったのと同じように、彼らの信仰を否定しても仕方がない。……今ではそんな風に納得している(おおむね)。

 

 それでこの本に登場する人たちも、それぞれがそれぞれの内側に信仰心(のようなもの)を抱えているように見える。たとえばCDの10分の1以下までデータを圧縮する技術(mp3)を開発した研究者は、やっぱりテクノロジーを信奉していたんだろうな、とか。あるいは史上最多の音源をネット上にリークしたCD工場の労働者とっては、海賊版ブームを影で牽引することは一種の自己実現だったんだろう、とか。

 私にとって興味深かったのは、CD全盛期に数々のレーベルを買収して音楽業界に君臨したプロデューサーだ。自分の報酬や権力を固持する一方で、一度引き取ったミュージシャンとは、相手が落ち目になっても長く付き合う。市場調査のつもりで孫と一緒にユーチューブを見たり、それをきっかけに配信事業に活路を見出したり。なんというか、自分のこだわりをちょっと脇に置くようなことをところどころでしている。エグゼクティブの余裕というものか、作曲家を志して挫折した過去の教訓というものか、わからないけれども。

 自分の信仰心(のようなもの)を相対化して、時には他の誰かの信仰心(のようなもの)に譲る。もし今後、日本の出版産業を方向転換させる人が出てくるとしたら、そういう人なんじゃないだろうか。その方向が良かれ悪しかれ

原題は”HOW MUSIC GOT FREE”、サブタイトルは”The End of an Industry, the Turn of the Century ,and the Patient Zero of Piracy”。ところで私は、今でもCDやラジオを愛用している。パソコンやスマホにこれ以上依存したくないから。

 

お知らせ(ブログタイトルの変更)

 ブログを始めてだいたい一年になります。だからというわけではないけど、タイトルを改めました。

(旧)捨てられない本

(改)ライターズブルース

 当初は、何を書くか毎回考えるのは大変そうだなと思ったことと、ちょうど引越しで大量に本を処分した後だったので、手元に残った本について書くことにしました。だいたい週一回、50冊分くらいやってみた結果、本棚の整理、それと連動した頭の整理になった気がします。

 引越しで手元に残した本(捨てられない本)はまだまだあって、それらについては今後も書いていくつもりですが、同時に、最近買った本についても書きたいと思うことが増えてきました。「引越しで捨てられなかった本」という制限を外して、自分が何を書こうとしているのか考え直してみて、タイトルを改めることにしました。より漠然としたタイトルになってしまったので、「ブログの一言説明」欄に「読むことと、書くこと」と入れてあります(それでもまあ、だいぶ漠然としていますが…)。

 

──以下は「このブログについて」と重複します──

 じつはブログを始めるよりも、ドメインを取得したのが大分前になります。そのときは、フリーライターという仕事を辞めて数年経って、そろそろ何か書こうかなあとぼんやり考えてはいたものの、何を書くかは決めていなくて、ただなんとなく「ライターを続けていたら書けなかったことを書くことになるんだろうなあ」と思いました。それで「writersblues.jp」というドメイン名にしました。

 ブログタイトルも最初から「ライターズブルース」にしておけばよかったようなものですが、「捨てられない本」について書くことによって、ライター時代に考えていたこととか、それを辞めようと思った理由のようなものについても振り返ることができたので、まあそれはそれでよしとしようかと。

 今後も基本的には何かの本を一冊、題材とするつもりです。どうやら私は、良い原稿を書こうとした結果、書く仕事を辞めることになったわけで、そういう人が読みながら考えて、考えながら書けば、それはたぶん「ブルース」と称するもの(上手下手は別として)になるんじゃないかなあと、相変わらずぼんやり思っているところです。

2024年3月

こんな具合にぼんやりと。

20年越しの「編集」考

『圏外編集者』/都築響一/朝日出版社/2015年刊
同/ちくま文庫/2022年刊

 文学フリマというイベントが初めて開催された年、私が在籍していた大学のゼミでも、作品集を出品しよう、ということになった。自分たちの書いた小説(のようなもの)を一冊にまとめるにあたって、タイトルをどうするか、表紙デザインや本文レイアウトを誰が担当するか、小説以外にどんな記事を入れるか等々、いわゆる編集という作業を学生同士であれこれ話し合いながら進めた。

 学期末になると、教授が招いた四、五人の編集者が講評をしてくれた。質疑応答の際に挙手をして「編集の仕事って、結局のところ何ですか?」と質問したのは、なんとなーくソレをやってみたけれども、ソレがなんであるか、わからなかったからだ。

「著者と伴走することだと思います」

「いろいろな作業をするので一口には言えない」

「締め切りを設定して、進行管理すること」

 そっかナルホド、と納得できる答えは得られなかった。相手はプロの編集者だし、こちらはただの学生だし。きっと私の質問の仕方がまずかったんだな、と思った。あれから二十年以上経つ。

 就職が決まらないまま卒業して、フリーライターという肩書きで十年少々世渡りをして、それを廃業して数回の転職をして。今になって思うのは、もしかすると彼らだって「編集とは何か」なんて、わかっていなかったんじゃないか。

この本は「売れる企画を作る」のにも「取材をうまくすすめるコツ」にも、まして「有名出版社に入る」のにも、ぜったい役立たない。がんばればがんばるほど業界から遠ざかってしまった僕のように(2015年のいま、持っている連載は2つしかなくて、ひとつは月刊、もうひとつは季刊誌という有り様だ)、むしろ自分が人生を賭けてもいいと思える本を作ることが、そのまま出版業界から弾き出されていくことにほかならない2015年の日本の現実を、「マスコミ志望の就活」とかに大切な人生の一時期を浪費している学生たちに知ってほしいだけだ。給料もらって上司の悪口を言いながら経費で飲んでる現役編集者たちに、出口を見せてあげたいだけだ。(「はじめに」より)

『圏外編集者』は刊行当時に店頭で手に取ったものの、結局買わなかった本だ。その頃の私は、出版業界というものを対象にライター根性を発揮してあれこれ調べまわった挙句、「不毛地帯」との結論に至りつつあった。そもそも都築響一さんは、私から見れば「ギョーカイど真ん中」の人であり(朝日新聞で書評を書いていたし、都内のちょっと変わったクラブやラウンジの内装やら何やらで名前を聞いたりもした)、そういう人が圏外に弾き出されていく現状を、もうこれ以上は知りたくない、お腹イッパイ、という心境だった。

 最近、散歩がてら訪れたブックカフェの本棚で、再びその本と目が合った。ここ数年は出版と関係のない仕事をしていたからか、ある種の懐かしさを感じて頁をめくってみると……。

──毎朝毎晩、服や靴選びに凝りまくるファッショニスタ(笑)だって、毎晩の夕飯に選び抜いたワインがないとダメ、みたいな食通だって少数派だ。多数派の僕らは、どうしてそういう少数派を目指さなくちゃならないのだろう。

──ふつうは泊まれない一流ホテルや旅館の本がいくらでもあって、ふつうに泊まれるラブホテルの本が一冊もない。テレビを見ても、雑誌を読んでも、紹介されているのは自分の小遣いでは一生泊まれないような宿ばかり。

──難しい現代詩は読んでもわからない。でも夜中に国道を走っていて、ヘッドライトに浮かんだ『夜露死苦』や『愛羅武勇』なんてスプレー書きを見てドキッとしたり。

 ……頁をめくる手が止まらない。買って帰ってその日の夜に読み切って、布団の中で考えた。編集ってたぶん、既存の何かに対して、その価値を上書きしてパッケージングすることだ。何にどんな価値を見出すか、それを「編集のセンス」と呼び、商品として流通させるためのやりくりを「編集のスキル」と呼ぶんだと思う。

 狭くてごちゃごちゃした東京の若者の部屋を撮りまくった写真集も。吉祥寺のラブホテルの屋上に設られた「自由の女神像」みたいなB級観光スポットのガイドブックも。ラッパーのリリックや死刑囚の俳句を集めた詩集も。都築響一さんって「ギョーカイど真ん中」というより「編集ど真ん中」の人だったんだなあ。

 ブックカフェ「惣common」では新品も古本も同じ値段で売っている、「読書を通した経験や感動は変わらない」から。本棚は独自のテーマで分類されていて、『圏外編集者』は「はたらくを考える」という棚に挿さっていた。ここにも「編集」がある。

テラス席は北向きで、建物の影が本を読むのにちょうど良い。本から目を上げると竹林が、ソファに首を預けると青空が。読み終わった本は七掛で買い取ってくれるそうなので、また行こう。

男の◯◯、女の◯◯

『女の絶望』/伊藤比呂美/光文社文庫/2011年刊

 兄や姉と一緒に『ルパン三世』の再放送を見ていた頃、オープニングソングで「お~とこには~じぶんの~セェカァイがぁある!」というBメロに差し掛かると、子ども心に「女にはないのかなあ」と思ったものだった。二十代になると、カラオケで『男の勲章』を熱唱する先輩に「女の勲章って何だと思います?」と絡んだりもした。

 男の美学を歌った歌はあるけれども、女の美学を歌った歌はない(私が知らないだけかもしれないが)。「男の隠れ家」という雑誌はあるけど、「女の隠れ家」という雑誌はない。塩野七生さんのエッセイにも、「男のロマンという言葉があるけれども、同じことを女がやると、どういうわけかロマンにならない」と書いてあった。

「女の◯◯」の◯◯に当てはめて、しっくりくる言葉ってなんだろうかと、漠然とした疑問を抱えて生きてきたからだろうか。本屋で『女の絶望』という文庫本を目にしたときは、「まさか」という気持ちと「もしかして」という気持ちが入り混じって、中身を確認せずにはいられなかった。

 一頁目には「出囃子/カルメン前奏曲」の文字。「ええ、いっぱいのお運びでありがとうございます」という寄席風の口上。語り手は「伊藤しろみ」、地元の新聞で身の上相談の回答を書いている。毎週さまざまな相談が寄せられるが、海千山千を自負する「しろみさん」には、やはり女性からの相談が多い。夫婦の悩み、育児の悩み、セックスの悩み、不倫、更年期、親の介護……。

 結婚して四十年になる妻だった。夫は家庭的で、暴力もなく、浮気もせず、稼ぎもまあまあ、でも妻には、目に見えない不満がふつふつとたまっていた。
「休日など二人でどこかへ出かけて、疲れて帰ってきたときに、自分が立ち上がってお茶を入れる奴隷根性に絶望しています。それをごくあたりまえの事のようにのほほんとしている夫のことも憎らしくてたまりません」
 ね、ここですよ。絶望、と。
 この言葉だ、見つけたと思った。
 女の、女たちの、悩みを、不満を、不安を、しとつに集めて表現する言葉。
 ずっといいたかったンだが、心ン中から出てこなくて、ずっともやもやしていた言葉だ。(「皐月─おんなのぜつぼう」より)

「人」にわざわざ「しと」と江戸弁のルビをふり、オチには駄洒落を添える。詩人の肩書きを持つ著者が、言葉のテクニックを駆使して「女の絶望」を、軽く、軽く、ころがしていく。あまりに軽すぎて、数年前に手に取ったときは内容が頭に残らなかった。文章が上手すぎて残らない、そんなバカなことがあるだろうかと、不思議に思ったものだった。

 著者の伊藤比呂美さんは実際に、西日本新聞で「比呂美の万事OK」という人生相談を担当している。長寿連載で同名の単行本もあるが、あとがきによると本書はあくまでもフィクション。「伊藤しろみ」は「伊藤比呂美」ではなく、悩む人々もその他の登場人物も、架空の存在だという。

 しかしながら、心配のあまり「しろみさん」が直接電話をかけた女性が数年後、講演会に手作りのお弁当を差し入れしてくれたとか、回答欄で自分の苦境をグチると、手紙に二千円のお見舞金を同封してきた読者がいたとか。時には「ハッキリ言えば傷つけてしまうかもしれないなあ」とためらったり、「きれいごといってんじゃねえよ」と自分で自分に突っ込んだり。どうも、まったくのフィクションとは思えない。

 ここに登場する女たちに、「自分が女でなければ、と思ったことがありますか」と質問したら、たぶん全員「イエス」と答えると思う。生理で下着や服やシーツを汚してしまったとき。痴漢に遭ったとき。差別的な職場や家庭に身を置いているとき。人間関係がこじれたとき。男になりたいとか、男に生まれたかったと思うのではなく、「女でなければ」と思ってしまう。自分で自分の性を呪ってしまう。この世にはたしかに「女の絶望」と言って然るべきものがあるようなのだ。

「一抹の実を核につくった架空の存在、あるいは夢のまた夢。夢から醒めれば、ここに、しとりの、五十過ぎの、疲れたおばさんが、佇んでおります。あたくしです」──新聞の連載では採用できなかった手紙が、たくさんあったに違いない。あの手紙は忘れられない、あの手紙にも答えたかった。いや、回答するのではなく、一緒に悩んだり文句を言ったり、笑い合ったりしたい。……数年ぶりに再読してみると、技巧的な文章の根っこには、そういう汲めども尽きぬ思いが湧いて流れているように感じる。

 こんなに丁寧に転がしてもらえるなら、絶望も、悪くないかもなあ。勲章とか、ロマンとか、美学も隠れ家も、私は別に要らないや。

西日本新聞で連載中の「万事OK」、直近の相談内容は「夫の信仰が嫌い。言動が不快で憂鬱」……回答が気になる。デジタル版の無料トライアル、申し込んでみようかな。

 

新しい本、古い本。新しい言葉、古い言葉。

『文車日記−私の古典散歩−』/田辺聖子/新潮文庫/昭和53年刊

 たまには最近買った本の話を。と思ったわけではないけれど、小池昌代さんの訳による『百人一首』(河出文庫)がおもしろい。正月に甥っ子や両親とこたつを囲んでカルタ遊びをした後、本屋で見かけて何気なく買って以来、枕元に置いて寝る前にパラパラと楽しんでいる。

 小倉百人一首を解説した本は昔からいくつもあって、少年少女向けのマンガもあり、検索機能の充実したウェブサイトもある。小池昌代さんの本では、何といっても現代の詩人による訳詩がステキだ。たとえば私が好きな一首〈わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり〉、これが以下のように訳されている。

わが庵は/みやこの東南/こんなものさ/のんきなものさ/いいじゃないか/なのに世間の人々ときたら/世を憂しの宇治山/だなんて言う/はあ 勝手なことを(引用者注:「/」は改行)

 意味内容だけではなく詩情というものを訳すると、こんな具合になるのか。こうして住んでますよ、といった意味の「しかぞ住む」を、こんなものさ、のんきなものさ、いいじゃないか、と広げると、ぐっと大らかな感じがしてくる。

 訳詩に続く鑑賞文もおもしろい。たとえば〈これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関〉、ひっきりなしに人が行き交う関所の光景が目に浮かぶような歌であるが、作者の蝉丸は盲目だったという伝説がある。「いったい、どんな音がたっていたのだろうか」。光景を暗転させると音が、音ばかりでなく空気や匂いが広がっていく。

 訳詩と鑑賞文に導かれて元の歌を辿ると、五感と言語能力をフル稼働させて、たった三十一文字にさまざまな情趣を含ませた歌人の姿がぼんやり浮かぶ。すごいなあ。紙も墨も貴重だったからだろうか、一字一字が支える質量が現代の言葉とは違う。

 

 飽き足りずに最近『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買った。百人一首は本来、撰者である藤原定家が百首でもって作り上げた歌のクロスワードパズルであり、一首ずつ解釈しても仕方がない、という説があるそうだ。古典を愛好する著者はこの新説に賛同し、「名歌なのだろう、と中世以来、漠然とみんな思ってきたが、百人一首の中には、ずいぶん阿保らしいような愚作や駄歌がいっぱいある。私もそこが不思議だったのだ」……むーん、奥深いものなんだなあ。

 田辺聖子さんといえば小説もエッセイもおもしろい、散文の名手であるから、この本でも散文ならではのパワーが炸裂。一番天智天皇から始まって徐々に時代が下っていく歴史背景を伝えつつ、ところどころで現代の「与太郎青年」と「熊八中年」が登場。「坊さんがそんな、色っぽいことしてもええんですか」と茶々を入れたり「千年前の人の話と思えまへん」と共感したり。こちらも枕元に置いて、小池昌代さんの訳詩と行ったり来たりしながら、少しずつ読み進めている。

 

 百人一首はもともと母が好きだったおかげで、私が子どもの頃にも毎年お正月には家族でカルタ遊びをした。ときには遠くにある札をパシッと取らなければならないから、身体能力に優れた姉にはいつも敵わない。それでもお気に入りの歌がいくつかあって、その札だけは自分で取ろうと意地になったものだった。

 お気に入りといっても、歌の意味がわかるはずもなく、花鳥風月のめでたさや男女の恋の機微を解する年頃でもない。響きがいいとか覚えやすいとか、ただ単になんとなく。でも、それはそれで良かったのだ。

 昔の学生たちは「方丈記」や「平家物語」の冒頭の一章など、まる暗記させられたものでした。リズム感のある名文なので、若者はすぐおぼえてしまいます。みずみずしい若いあたまに刻みつけられた記憶は、一生消えません。
 そのうち二十代、三十代、四十代と生きるにつれて、その文章の意味を、年ごとに深く汲みとるようになります。わけも分らず暗記していたものがたえず新しい意味をもって生き返り、その生涯の血肉となります。古典というものはそういうものです。(「ゆく河の流れ」より)

 引用した『文車日記-私の古典散歩-』は、田辺聖子さんが愛する古典への思いを綴ったエッセイ集で、題材は万葉集古事記平家物語徒然草といった有名どころはもちろん、落語や江戸時代の戯画まで幅広い。年代順に並べて啓蒙する教科書的なところがまるでなく、歌を、物語を、ひたすらいつくしみ、いにしえの人々に思いを馳せている。

 この作家の他の本は、また読みたくなったら図書館で借りられるだろうと思って、引越しの際に手放した。このエッセイだけ手元に残したのは、いつかは何か古典を読みたくなるかもしれない、そのときはこの本が助けになるだろうと思ったからだ。いまだに現代語訳がなければ意味も拾えない門外漢のままだけど、著者によると百人一首を暗誦すれば「ふしぎと古文の文法がすらりと頭に入ってしまう」らしい。ほんとかなあ。

 甥っ子の中学校では、近く百人一首大会が催されるそうで、練習をしたいからと週末にカルタ遊びに召集された。甥っ子の手前、なるべく下の句まで聞いてから札を取ろうと思う。お気に入りの歌以外は。

手前の『ときめき百人一首』(河出文庫)は中学生向けの入門書。甥っ子用のつもりだったけど、文法とか修辞の解説がわかりやすく、自分用になりそうな予感。

修行と教育、もしくは指導

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』(上)(中)(下)/ゲーテ/山崎章甫訳/岩波文庫

 編集者と原稿のやりとりをしていると、たまに「だったら自分で書けば」と思うことがあった。従ったほうが記事が良くなると思えば従うし、注文を受けての原稿だからなるべく意向に沿うように努めるけれども、山に登ろうとしている人に向かって海に行く道を教えるような指摘は少々対応に困る。自分で書けば、とはもちろん言えないから、海より山のほうが楽しくないですかーとそそのかしたり、海に行くと見せかけて山に登ったり。

 大学の非常勤で作文のワークショップを受け持つことになったとき、最初に考えたのはそのことだった。要するに、学生が書いた文章に対して良いとか悪いとか、感想を言うだけだったら誰でもできる。編集者とライターだったらともかく、講師が学生に「だったら自分で書けば」と思わせてはいけない。

 それで指導方針のようなものを考えたときに、まずはその学生が何を書こうとしているか、どんな文章を目指しているかをなるべく正確に読み取ろうと思った。それを最大最善のものとしてイメージして、目の前の文章を比べたときに、足りないところ、余計なところを検討して、より良く目的地に辿り着けそうなルートを提案する。そういうつもりで提出された文章を読んでみると、どの学生が書いたどんな文章もおもしろかった。

 たまに、目的地自体が誤っていると感じることもあった。たとえば、ただ単にカッコつけたいだけの文章。そういうときは「カッコいいね」と言った後で、「でも、この書き方だったらもっと別の内容も書けると思うよ」と新たな目的地を提案した。

 そういうやり方で、うまくいったと思えるときもあれば、そうでないときもあった。そもそも文章の書き方なんて、私が教えてほしいくらいなんだけどなあと、いつも思っていた。

 一言でいえば、あるがままの自分を残りなく育て上げること、それがおぼろながらも、幼い頃からのぼくの願いであり、目標だった。いまもこの考えは変わらない。それを実行する手段がいくらかはっきりしてきただけだ。(中・第5巻第3章より)

『ヴィルヘルム・マイスターの修行時代』は、ドイツ教養小説の元祖として教わって、学生時代に一度読んだきり。覚えているのは、演劇に魅入られた若者が旅に出ていろいろ経験する、そんな程度のあらすじで、愛読したとか味読したとは、とても言えない。でも、上に引用した箇所だけは妙に印象に残っていた。「あるがままに育てる」という言い方は、語義に照らすと矛盾があるように見えて、不思議な説得力がある。

 最近、転職活動を始めた友人と話しているときに「修行」という言葉が出てきて(私もここ数年は転職を繰り返しているから、修行みたいなもんでさあ……という具合に)、何の気なしに頁をめくりながら思い出したのは非常勤時代のことだった。私があの頃やろうとしていたのは、たぶん、学生たちが書こうとしている文章を「あるがまま」に書かせることだったんだなあと。

 自分の文章に対しても同じことができたらいいのかもしれないが、自分が何を書こうとしているのかを見極めることは、どういうわけか、他人の文章と比べてかなり難しい。ここ数年の自分の転職歴も「あるがままの自分」を育てようとしてのことだと、言って言えないこともないけれど、自分の「あるがまま」を見分けることは、さらにもっと難しい。

 あるがままの自分を育てるってどういうことなのかなあと、読みながら考えてみたけれども、結局わからなかった。ブログを書きながら考えれば何かわかるかなと思ったけれども、今もわからないままだ。それに、どちらかというと今は、上に引用した箇所よりも物語の結末に惹かれる。

「この最高の幸福の瞬間に、あの頃のことを思い出させないでください」
「あの頃のことを恥ずかしく思う必要はありませんよ。素性を恥じる必要がないのと同じです。あの頃も楽しかったじゃありませんか」
(第8巻第10章)

 怒りや屈辱、失意も悔悟も経験した主人公に、旅の道連れが言う台詞だ。書くことや読むことをおもしろいと思ってもらえれば、それだけでいいんじゃないか。非常勤時代の最後のほうでは、そんな風に考えていたことを思い出す。

キリスト教の世界観に馴染みがないと、ヨーロッパの近代小説はイマイチ入り込めないなあと思っていたけれど。昔よりおもしろく読めたのは、それなりの修行の成果、ということにしておこう。