例の感染症の流行によって、従来ありえたはずの学校生活を失った子どもたち。『私たちの世代は』は、渦中の彼らの生活とその後を描いた小説だ。現在中学二年生の甥っ子はまさにそういう「世代」。読めば自分の身に重ねて思うところがあるかもしれない、読書感想文を書きやすいかもしれない、そう思って試しに読んでみたけれど。
主人公が二人いて、時制も少し複雑だ。たとえば小学生の「私」から、就職活動をしている「私」に切り替わって、さらに小学生の「わたし」に切り替わる……小説をある程度読み慣れていれば、二人の主人公の邂逅に自然と興味を惹かれる構成になっているけれども、甥っ子の読解力でついていけるだろうか。気がかりで、結局本人には勧めなかった。
それでよかったんだと思う。なにしろ私自身が、あの時期に甥っ子がどういう風に暮らしていたかをよく知らない。学校が休校になったとか、タブレット端末を使って授業をしているとか、報道や姉の話で多少聞いていたけれども、本人から聞いた話ではない。それなのに「アナタもこういう経験したでしょう、こういう話を読めば共感するでしょう」みたいなノリにならなくてよかった。
「感染症って、便利なこともあるよね」
スーパーでパンと飲み物を買い込んで清塚君の家に向かう途中でママは言った。
「どうして?」
この暑い中マスクをしないといけないし、スーパーに行っても他人と一メートルは距離を空けないといけないし、一人しか店内には入れないし、面倒なことだらけだ。
「買ったもののほうが安心だからって、料理しなくても堂々と言い訳できるし、こんなに人がいない中歩けるなんて開放的だし、学校の友達の家に親までもがしょっちゅう行けるしさ」
「でも、感染症なんかなかったら、何だって自由にできるじゃん」
わたしが言うと、
「そう? こんな事態じゃなかったら、清塚君の家になんてママ行けてないよ。ちょっとラッキー」
とママは笑った。(『私たちの世代は』第一章より)
読みながら思い出したのは、エッセイ『戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記』だ。ライブハウスやコンサートホールはほぼ閉鎖、開演できたとしてもマスク必須、会話も拍手も禁止。フツウに考えれば、ミュージシャンにとって望ましい状況ではなかったはずだが。たとえば、渋谷のスタジオでライブ配信を終えて外に出た瞬間、「踊り出したくなる程舞い上がった」。
誰もいなかったからである。
それは映画のセットのようだった。端的に懐かしい。これは昭和の渋谷だ。(中略)コンビニがなく、公衆電話がたくさんあり、歩きタバコが吸い放題で、終電を過ぎると、ほとんど誰もいなくなり、やっている店は大通りにはない。そんな光景が、コロナによっていきなり現出した。
それまで7時間以上パルコに閉じこもっていたので、エレヴェーターのドアが開いた時には、「うわああああああああ」と口に出してしまった。(中略)
コロナが僕に与えたものは、概ね全て楽しいものだった。しかし、もし、真綿で首を締められるような、誰にでも共感してもらえるであろうこの閉塞感が、もしネガティヴなものとして僕の中に堆積しているとしたら、コロナはこの一瞬をもって、それを全て清算したと言えるだろう。僕には、空気が綺麗に見えた。(『戒厳令下の新宿』令和3年1月28日分より)
方や小説で、方やエッセイ。小説に出てくるのは小学生の女の子とその母親、エッセイを書いているのは中年の音楽家。類似を見出すのは、おかしなことかもしれない。でも、たとえば小説の「ママ」が働く店にこの音楽家が飲みにきてもおかしくない気がするし、菊地成孔が担当するワークショップにこの親子が参加していてもおかしくない気がする。現在進行形の事象が介在してこその、不思議な感覚だ。
ところで、感染症の流行によって私が体験した「良いこと」は、足の親指の巻き爪が治ったことだ。中学校の指定ローファーを履いていた頃から右も左も270度くらい巻いていたのだが、通勤で山手線に乗るのが嫌になって、片道四十五分くらい歩いて往復していたら、いつのまにか治っていた。それはまあ「ちょっとラッキー」だったかな。でも全体的にはやっぱり、うんざりすることのほうが多かった気がする。「概ね全て」楽しかった、とはとても言えない。
要するに私は、次に「何か」が起きたら、この本の彼らのように生きてみたい、という誘惑に駆られているんだと思う。大地震なのか、致死的な疫病か、他の何かかはわからない。不可避の厄災の中で、不安と恐怖と混乱と、怒りや悲しみに自分を乗っ取られない方法。
楽天的、というのではない。逞しさ、かな。それから人に優しい、とか。どう思う?……甥っ子といつか、そんな話ができるだろうか。できるかもしれないし、できないかもしれない、とりあえず私の宿題だ。