ライターズブルース

読むことと、書くこと

18年目の追悼

百日紅』上下/杉浦日向子ちくま文庫/1996年刊

 好きな作家の本は捨てられない、というよりは、捨てられない本こそが好きな作家の本、かもしれない。読破しようと意気込んで買い揃えた覚えはないのに数えてみれば10冊以上ある。もう読まないものは処分しようと思うのに、さてどれを、と考え出すと選べない。そうか、私は杉浦日向子という作家が好きなのか、と気づく。

 その存在を知ったのは本よりテレビが先だった。目当ての番組がないときは習慣的にNHKに合わせる両親だったから、毎週木曜の夜は大抵『お江戸でござる』と決まっていた。私がアルバイトから帰宅しておかずを温め直す頃合いに、江戸の町方を書割にしたお芝居が始まる。そのあと演歌歌手の歌唱を挟んで「おもしろ江戸ばなし」というコーナーがあり、そこで「先生」と呼ばれていたのが杉浦日向子だった。

「先生、今日の間違いは?」

 江戸の町人に扮した役者さんたちが衣装もメイクもそのままにその人を囲んで尋ねると、

「はい、今日は火消しのお話でしたね。火事と喧嘩は江戸の華、と言われておりまして……」

といった具合に時代考証が始まる。たまに「間違いは、一つもありませんでした」という回もあり、すると役者さんたちが「おおっ」と湧き立つ。役者さんたちとは対照的な渋い色合いの着物を着ていて、それがよく似合っていた。ソファか炬燵に寝そべりながら母は、「この人何でも知ってるんだよ」「この着物は衣装じゃないね」とこの先生をご贔屓にしていたように思う。

 あるとき、つげ義春水木しげるを目当てに本屋でちくま文庫コーナーを物色していると、背表紙に「杉浦日向子」とあるのが目に留まった。「あの江戸の先生は、マンガも描いていたのか」と意外に思い、手に取ったのが『百日紅』上下巻だ。

 葛飾北斎とその娘・お栄を中心に描いた、絵師のお仕事マンガとでも言おうか。弟子、ライバル門下生、客、大家、遊女、仙女等々、登場人物は多種多様。怪談めいた話もあればライバルとの鞘当てや淡い恋情が描かれる回もあり。たとえば、別所で暮らす母親に暮らし向きを訊かれると、お栄はこんな風に答える。

「親父と娘で筆二本、箸四本あれば、どこへ転んだって喰っていくさあ」

 そんな風な話だ。

 この一作をもって、私は自分の考え違いを訂正した。テレビの解説者がマンガも描いているのではなく、漫画家として立身した人がテレビで解説していたのだ。

 彰義隊に加わった少年の目線から上野戦争を描いた『合葬』。

 全編浮世絵タッチで遊郭を描いた『二つ枕』。

 幕末の道場主の放蕩の日々を描いた『とんでもねえ野郎』。

 他の作品も読むにつれ、漫画より先に時代考証家としての下積みがあったこと、画業は既に引退して、現在の本業は「御隠居」であることがわかった。四十そこそこで隠居とは、さすが江戸の人は違うなあと、テレビに映るその人を眩しいような気持ちで見るようになった。

 そしてその呑気なイメージも、結局は的外れだった。一人暮らしを始めて、『お江戸でござる』を見ながら母親の作った夕飯を食べることもなくなった頃に、享年46歳という訃報がもたらされた。長年血液関係の難病を患っていたという。療養とか闘病という説明は抜きに、「隠居」で通す。そこに江戸前の美意識とか価値観と言われる何か、言葉で説明し尽くせないものが明示されているように感じた。「江戸とは過去ではなく、いまここ」というこの作家のエッセイを、わかったようなわからないような、ただぼんやりと読み過ごしていた私は、追悼よりは感服に近い心境だった。

 死によって作品が完成する、なんて言い回しは、きっとこの人は好きではないと思うけれども。折れや染みだらけの文庫本を手に取ると、訃報を聞いたときの驚きが甦る。形代のようなその本を捨てることができない。

未読の作品もあったことがわかって、新たに2冊買い足した。せっかく断捨離したのに……。