御社は新しい本を作ることより今ある本を売ることを考えたほうがいいと思いますよ、と新潮社の人に言ったことがある。もう十年以上前のことだ。新潮社といえば歴史も知名度もある出版社で、フリーライターという当時の私の立場でそんなことを口走るのは、生意気を通り越して滑稽だったに違いない。本を作る部署で働く人に対して失礼でもあったと思う。でも、私はいたって大真面目だった。
そのとき頭にあったのは「気まぐれ美術館」シリーズのことだ。私は学生の頃にその新潮文庫を三点買った。文庫になっていない単行本があと三点あって、いつ文庫化するんだろうと思っていたら、いつの間にか文庫も単行本もすべて絶版とされていた。好きな作家の本が絶版になったことはもちろん残念だけれども、それ以上に「なんで?」という疑問のほうが大きかった。
洲之内徹は銀座の画廊主で、愛蔵した美術品はその死後に百点以上が「洲之内コレクション」という名前で宮城県美術館に収蔵された。入れ替えをしながら常設展示されており、他の美術館の企画展に貸し出されたこともある。つまり彼のエッセイは書店以外にも販路があり、新しい読者を得る窓口があったはずだ。そういう本の在庫を切らさず持ち続けることが、歴史も知名度もある出版社の存在意義というものではないのか?
「気まぐれ美術館」シリーズの扱いを巡って、言ってみれば私は新潮社という出版社への不信感を抱いたわけだ。それをそのまま若手のいち社員に伝えたのは、やっぱりまあ、愚かなことだったと思うけれども。
「気まぐれ美術館」シリーズは長いこと古書以外に入手できない状態が続いていたが、今年の春に筑摩書房が『洲之内徹ベスト・エッセイ1』というタイトルで文庫を刊行した。椹木野衣さんによる巻末解説も読みたいし、刊行をささやかに讃えたい気持ちも湧いて、見かけてすぐに買った。
でも、読み始めるとそんなことはどうでもよくなる。現役の美術評論家が洲之内徹をどう位置付けしているかとか、ちくま文庫の編集部の方針とか、本を買ったもともとの動機は読んでいるうちに霞んでいく。
たとえば「月ヶ丘軍人墓地(一)」。名古屋市内の静かな住宅地の坂道の途中に、「日の丸と軍艦旗とをぶっちがい十文字に掲げた」墓地の入り口が唐突に現れる。旗をくぐって墓地に入ると、百体ほどの軍人像が列になって並んでいる。当時(1982年)著者が撮影したと思われる写真が白黒で掲載されているが、一種異様な光景だ。
像は高さ一メートル前後で、台座(墓石)には戒名ではなく軍隊の階級名と名前が彫られている。著者は墓守と会って話を聞き、図書館で戦史を読む。彼ら(第三師団歩兵第六聨隊)は上陸から数日後には敵地に取り残され、「二百名がたった十名になってしまった」、「第三師団は消滅してしまった」。
それにしても、と私は考える。死んだこの男たちにとって、当時の合言葉みたいだった「お国の為」とか「聖戦」とか「八紘一宇」とかはいったい何だったろう。本当にそう信じて戦場へ行った兵士がこの中に果して何人いただろうか。しかし、信じていようといまいと、死は眼前に待構えている。その避けるわけにはゆかない暴力的な死を自分に納得させるためにはその合言葉を信じるほかなかったろう。母親はまた、そうして死んだ息子の死を無駄死だと思いたくなければ、そうするしかなかったろう。愛国主義といい、軍国主義といい、ありようはそういうものだったかもしれない。(「月ヶ丘軍人墓地(一)」より)
この「ありよう」という言葉にヒヤリとする。自分がもろに影響を受けて育ったはずのいわゆる「戦後民主主義教育」を、いわゆる「自虐史観」として一刀両断する気はない。でも欠けているものがあったとすれば(どんな教育も万全ではない)、この「ありよう」ではなかったか。そういう予感にとらわれる。それがそのまま今の自分自身の欠落として感じられてくる。
思うに、小説と比べるとエッセイは、時とともに古びやすい。ある人間が何を前提として生きているか、小説では登場人物を描く際に必然的にその条件が描かれる(そうでないと物語が成立しない)けれども、エッセイではそこのところを省略して書かれる(少なくとも同時代においてはそれで成立する)からだと思う。
では、洲之内徹のエッセイはどうして古びないのか? はっきりしたことは言えない。ただ、彼は同時代に生きた多くの人とは、何か決定的に違うものを前提として生きていたのではないか、という気がする。
新たに編集されたこのエッセイ集には、初期から晩年までの文章がわりと満遍なく収められている。画商としての洲之内、作家としての洲之内、復員兵としての洲之内……編集にあたった椹木野衣さんは、異なる角度から照明を当てることで立体としての「洲之内徹」が浮かび上がるような、そんな選び方をしたのかもしれない。
それから、批評家としての洲之内。洲之内徹について語ろうとするとき、避けて通りづらいものとして「批評」という言葉がある。椹木野衣さんも巻末の解説で触れているが、かつて小林秀雄が「今一番の批評家」と洲之内を評価したことに由来するらしい。
批評とは何か。私は二十代の頃にお世話になった人が「批評家」を肩書きとしていた関係で、この言葉について自分なりに考えたことがあるけれども、納得できる結論には至っていない。次巻以降を読みながら、整理していきたいところではある。
しかし少なくとも、小林秀雄賞を擁する新潮社が洲之内徹の本を絶版にしたことは、批評的ではなかった。批評の賞を運営する出版社として風上にもおけないことだった、と改めて思う。