福田和也さんが9月20日に亡くなったそうだ。訃報にふれて、自分に何かやるべきことがあるだろうかと少し考えたけれども、葬儀に参列したいとは思わないし、連絡するべき知友もない。私の生きる世界では、福田さんはだいぶ前に他界していた。
2012年か13年頃だったと思うが、『en-taxi』という季刊文芸誌の編集者に「福田和也論を書かせてくれませんか」と打診したことがあった。批評家としての福田和也が再起不能であることは私の目には明らかだったし、その編集者は福田さんのゼミの卒業生だったから(私の三つか四つ先輩)、そう、たしかこんな感じのメールを打った。
「福田先生はもうダメです。せめて文芸の舞台で葬ってあげませんか」
先生の書いたものであろうと何であろうと、おもしろいものはおもしろいし、つまらないものはつまらない。ざっくり言ってしまえば批評とはそういうことだろう。福田さんの原稿に対して誰もそれをやる人がいないなら、あたしがやってやるよ……とまあ、そう思ったわけだ。
相手の断り文句はこうだった。
「私にとって福田さんは仕事相手です」
だから何、と思ったけれども、深追いはしなかった。コイツらなんもわかってねーな、言葉とか文章とか批評とか、そういうものがどんな風に人を縛るかを何もわかってない。当時の私は誰かと福田さんの話をする度にそう思ったものだった。それは、先生の屍が布も土もかけられずに晒されているという怒りであり、悲しみだった。もし私が追悼文を書くとしたら、やっぱりあのタイミングだったと今も思う。
そんなわけで今さら訃報をもたらされても、特にするべきことはない。
……いや、一つあった。その雑誌の企画で角川春樹さんに俳句を教わる席上で、いずれ先生が亡くなったら「とんかつ忌」で追悼句を詠んであげますね、などと茶化した思い出がある。
俳句の世界では「○○忌」というのは季語の一種で、芥川龍之介の河童忌(7月24日)、太宰治の桜桃忌(6月13日)あたりが有名だ。とんかつが福田さんの好物であることは自他共に認めるところだったから、「とんかつ忌」がぴったりだと思ったのだ。本人は不満げだったけれども。
呑み歩いた思ひ出ばかりとんかつ忌
コップ酒を干しては汲まむとんかつ忌
恩讐や暖簾かきわけとんかつ忌
こんなところだろうか。「とんかつ忌」で追悼句を詠もうなんて、我ながら高いハードルを課してしまったものだ。
昔ごちそうになった天ぷら屋で天丼を頼んで、一人で献杯して帰る道すがら、芙蓉の花が咲いていた。「酔芙蓉忌」あたりにしておけば風情があって、本人も満足してくれたかもしれないな。どの季節に死んだかなんて、本人は知り得ないことではあるけれど。
酔芙蓉を求めて歩く和也の忌
俳句もしばらく作っていなかったから、これが追悼句になっているかどうかは正直よくわからない。何にせよ、
「書き出しはキツイ。どんなカンタンな原稿でも、書き出すときは飛び降り自殺する気分だ」
そう言っていた先生が、もう何も書かなくていいのだと思うと、私はほっとする。