いずれ忘れてしまうだろうから、今のうちに書いておこう。九月の末、福田和也さんの葬儀が済んだ頃にこんな夢を見た。
「死ぬのが怖い、行ったら戻れない」
どこかの公園だか河川敷だか、西陽に染まった野っ原で先生が泣いている。
「仕方ないじゃないですか。私は大丈夫ですから」
そう言って背中をさすってあげる夢だ。ロロピアーナのジャケット越しに触れた背中は、まだ肉が付いていた頃の、私が知っている福田先生の背中だった。
『ユリイカ』から寄稿依頼があったのはその一ヶ月後くらい、世に出ている追悼文の類に目を通しながら、さて何を書こうかと考えた。前回更新した内容、つまり、なりふり構わず逃げ去った「恩師の背中」を書こうと思ったのは、そのほうが雑誌全体がおもしろくなると思ったからだ。卒業生による寄稿は七、八本予定されていたから、恩師を後ろから斬りつける原稿が一本くらいあったほうが全体として盛り上がる……少なくとも私が学生だった頃の福田さんなら、そういう意図をホメてくれただろう。
思い出すままにキーボードを打って、三、四時間で七、八枚くらいになった。残すべき要素に優先順位をつけて、一時間くらいかけて指定字数(五枚弱)まで削った。原稿料は一枚あたり千円とのことだから合計四千数百円、私が供出できる時間はこのくらいが限度だ。ちなみに今回使ったネタは、寿司に喩えるなら穴子。イクラとかウニとかトロではないし、私の好きな〆鯖でもない。
掲載見送りとされた理由については、編集長の明石くん(福田ゼミの後輩)でないと本当のところはわからない。私が理解した範囲では「公平性に欠ける」ということらしい。本文中に書いた騒動の日、奥さんが福田先生に暴力を振るって、それが発端となって先生は逃げたと聞いている、私の書き方は奥さん側に有利な方へ偏っている、とのことだった。
元はといえば、福田さんが**や**を滞納して、彼女と称する女性との遊興に散財していたと露見したことが「発端」だったと私は思うが、「奥さんにも原因がある」とか「物書きは何をやっても許される」とか言う人もいるだろう。夫婦の揉め事を第三者が公平に描くなんて土台無理な話で、私は「いろいろあったうちの一つ」、つまり「恩師の背中」を書いた。そのように伝えたが、とにかくこのままでは掲載できないとのことだった。
2012年以降の福田さんが尋常でない痩せ方、老け方をしていったのは、関係者でなくとも周知の事実だ。原稿の荒れ方も尋常じゃなかった。2011年末の家出は自殺行為だったと言っていいと思うが、衰弱していく様子を間近で見てきたであろう明石くんが、いまだに「奥さんに有利(先生に不利)」という言い方をしていることに私は驚いた。
それ以上に難儀だったのは、彼が使う「公平」という言葉にほとんど意味を見出せないことだった。私が思う公平性は、たとえば自分が編集の仕事で人並みの給料を貰っているなら、外部に原稿を発注する際は一枚あたり最低四千円の原稿料を用意することだ。それができないなら、原稿の内容について著者と対等に交渉できる立場ではない。アンタにとってはメシのタネでも、こっちにとっては仕事にも何にもなりゃしないんだから。
それでももし明石くんの意を汲むとすれば、たとえば編集後記に次のような文言を付け加えれば済む話だ、「◯頁の佐藤和歌子さんのエッセイで書かれた騒動について、編集部ではかくかくしかじかとの情報を得ています。公平性に欠けるのではと懸念しましたが『読者の判断に委ねたい』との著者の意向を尊重し、そのまま掲載することとしました」。あるいはタイトルを「短編小説・恩師の背中」にするとか、(私自身は小説と称するほどクリエイティブな原稿を書いたとは思わないけど)彼のほうから提案があればそのくらいは譲歩したかもしれない。
要するに、カネが出せないならアタマ使え。あたしの時間を奪うな。自分で何とかしろ。……こういうこと言わなきゃわかんない人って、たいがい、言ってもわかんないんだよな。それに公平性云々は方便で、「福田和也のオトモダチによる文集」には適さないというのが本音かもしれない。なんとなく載せたくないというのが本音かもしれない。(2025年1月6日訂正)
さきほど青土社の公式サイトを確認したところ、前に見たときにはあった執筆者の名前がまた一つ消えていた。しかも定価が2,640円から3,080円に上がっている。やれやれ。
年の最後に、福田さんの遺作『放蕩の果て 自叙的批評集』の一節を引用する。
確かに、私は江藤さんから妖刀を譲り受けた。いい気になって、振り回していた時期もあった。
しかし、この十年ほど妖刀の姿を見ていない。(中略)
一体、今妖刀は何処にあるのだろう。
誰か知っている人がいたら、教えてもらえないだろうか。(「妖刀の行方──江藤淳」より)
そんな妖刀なんてものが本当にあったとしたら、先生が出ていったあの家に置いてきたんじゃないですかね。もしまた夢に出てきたら、そう教えてあげよう。