【報告と御礼】
12月27日付の投稿について、20人の方が購入(という名の投げ銭)してくれました。収支報告は以下のとおり。
販売額:6,000円(300円×20人)
販売手数料:▲900円(6,000円×15%)
振込手数料:▲300円
手取り:4,800円
購入してくださった方、SNS等でリンクを転載してくださった方へ、心から御礼申し上げます。どうもありがとうございました。
福田和也さんの墓前に供える花とお酒と、まい泉のカツサンドくらいは買えそうです。お墓の所有管理者ではないため所在地を明かすことはできませんが、なるべく今月中に、場所の特定に結びつかない程度の写真を撮ってご報告したいと思います。
【お詫びと訂正】
アクセス解析をしたところ、田中純氏のブログ内に追記として、当ブログへリンクが貼られていることを確認しました。
https://before-and-afterimages.jp/news2009/2024/12/27/『ユリイカ』福田和也特集/
また1月4日に近所の図書館で当該『ユリイカ』を拝見したところ、田中氏のご指摘のとおり「『福田和也のオトモダチ』による文集」という表現は適切ではなかったことがわかりました。お詫びします。以上を踏まえて、前回の投稿を以下のように訂正しました。
訂正前:公平性云々は方便で、「福田和也のオトモダチによる文集」には適さないというのが本音かもしれない。
訂正後:公平性云々は方便で、なんとなく載せたくないというのが本音かもしれない。
【『ユリイカ』臨時増刊号(総特集 福田和也)の感想、もしくは印象】
古屋健三さん(大学時代の指導教授)の談話と、佐々木秀一さん(処女作『奇妙な廃墟』の担当編集者)の寄稿がおもしろかった。また、修論の抜粋と単行本未収録原稿が掲載されているのは資料的価値があると思う。それ以外は拾い読みした程度で、気が向いたらそのうちまた図書館で読んでみようと思う。
今あまり気が向かないのは、私が知っている福田和也という人は、だいぶ前に死んでいたからだろう。つい最近死んだと認識している人たちのノリには付いていけない、もちろんその認識が正しいのだとしても自分はこの葬列には加われない……というのが拾い読みの感想、というか印象だった。
【重松清さんへの御礼と補足】
重松清さんが福田さんへの弔辞の中で私の名前を挙げてくださっていたことは人伝てに聞いており、『ユリイカ』増刊号でその内容を確認した。この場を借りて御礼申し上げます。
雑誌『en-taxi』との関わりについて補足すると、私は依頼を断ったことは一度もなく(一度に三本書いたこともある)、自分から「書かせてほしい」と言ったのは一度だけだ(相手にされなかったことは2024年9月22日付投稿で記した)。五年くらい続いた連載が終わったときは打ち上げもなかった。その後に編集同人に加わった重松さんとは一度も面識がないだけに、「誌面を支えてくれた」とのお言葉が嬉しかった。
【拙稿への反省と補足】
12月27日と30日に更新した内容について、直接的に間接的にいくつか反響をいただいたが、そのうち多いのが「よくあることじゃないか」というものだった(上述した田中純氏のブログにも「家庭内のいざこざは誰にでも起こりうること」とある)。どうも意図したことが伝わっていない、私の書き方がまずかったのだろうという反省の意味で、以下に少し補足する。
不倫や別居や離婚自体はよくあることだろうけれども、私が問いたかったのは、学生を巻き込む必要がどこにあったのか、ということだ。大学の構内で配偶者をストーカーだと偽り、学生たちを盾にして逃げるという行いは、教員がやっていいことではなかったと思う。どんな事情があったとしても。もし家出後の福田さんが、大学教授という定職や批評家という肩書きを捨てて、私小説か自伝的エッセイあたりを書いていたなら、それがどんなにくだらない内容だったとしても、私は温かい気持ちで見送ることができただろう。
少なくとも私は、いきなり羽交締めにされる経験をしたのは後にも先にもあのときだけで、それなりに怖い思いをした。「大変だったね」とか「かわいそうに」という声は特になく、それはまあ別にいいけれども、「よくあること」と言われるのはいくらか心外だった。
どこがまずかったんだろうと読み返してみたけれども、自分で自分の原稿を客観視するのは難しい。もう少し時間を置けば具体的な改善点が見えてくるかもしれないが、今のところ「誰か病院に連れてってあげたら」というのが自分の原稿に対する感想だ。
ちなみに一番嬉しかったのは「愛がある」という感想。それはそれで意外だったが、言われてみればそうかもしれない。
【その他備忘】
いろいろ思い出したことがある一方で、時間の経過とともに忘れかけていることもあり、福田さんとの個人的な関わりについて年末年始に整理してみた。自分自身の備忘のためであり、ブログで公開する必要はないと思うが、そもそもブログ自体がやる必要もないのであって。
大半の人にはつまらないだろうけれども、福田さんの人となりについて知りたいという人には、少しだけ参考になる箇所があるかもしれないので、一応以下に記録を残します。
・1999年4月 大学入学
・2000年9月 福田ゼミに所属
・2003年3月 『en-taxi』創刊、短いコラムを寄稿。単位が足りず留年
(福田さんが馬込から旗の台に転居して、そのお手伝いに行ったのは多分この前後)
・2003年4月 拙著『間取りの手帖』を上梓
(この頃に『文藝春秋』で福田さんと鹿島茂さん、松原隆一郎さんによる鼎談書評が始まり、2年間くらいその構成を担当させてもらった)
(渋谷のブックファーストでアルバイトをしていたのもこの頃。レジにお子さんを連れた福田さんが現れたことがあり、福田さんの奥さんが現れたこともあった)
・2003年9月 大学卒業、以降はフリーライター
(品川区戸越に引越して、大井町のとんかつ屋「丸八」に誘われたのがこの頃。戸越と旗の台は近いので、度々ご自宅に招いてもらったり、銀座で飲んだ帰りのタクシーに同乗させてもらったりした)
・2004年6月 『en-taxi』6号に「角川春樹句会」を寄稿。以降、連載化
(連載の他には、対談や座談会の構成したり、その時々の特集に寄稿したり。重松清さんが弔辞で言及していた石原慎太郎×立川談志の対談は、2006年か07年頃だったと記憶している)
・2007年1月 『週刊モーニング』の巻末に「悶々ホルモン」を連載
(6回目か7回目が掲載された後、福田さんから電話がかかってきて「アナタの好きなホルモン焼きに案内してほしい」と呼び出された。私が焼いたミノを食べながら、原稿をホメてくれた)
・2008年2月 師弟関係に亀裂が生じた
(2023年12月8日付投稿に関連)
・2008年6月 京都の肉割烹「安参」に連れていってもらう
(「悶々ホルモン」単行本用の番外編のため。内心悩んでいたが、原稿は努めて陽気に書いた覚えあり)
・2008年10月 師弟関係の変質を受け入れた
(福田さんが旗の台から目黒区内に転居したのがこの頃。奥さんの手伝いに行って、帰宅した福田さんと鉢合わせし、ギョッとされた覚えあり)
・2009年3月 陶芸家・吉田明さんの追悼文を『en-taxi』に寄稿
・2009年6月 『en-taxi』の江藤淳特集に「師と師の師の間に」を寄稿
・2009年9月 『en-taxi』のブルジョワジー特集に「我が石原慎太郎の慎太郎」を寄稿
(上記三本は、いわば福田さんの「無茶ぶり」。福田さんはいずれの原稿もホメてくれたが、素直に喜べなかった記憶あり。江藤淳特集については、奥さんが「福田は良いお弟子さんを持ちました」と言ってくれた。慎太郎の慎太郎については、アモーレの澤口さんが「あの雑誌で気を吐いているのはお前だけだ」と言ってくれた。そっちのほうが嬉しかった)
・2010年3月 師弟関係が破綻
(当時の私から見た福田さんは、やってることは醜悪だし、書いてるものはつまらないし、「アタマおかしいんじゃないの」という感じだった。今後は表面上のお付き合いに留めましょう、と申し入れた覚えあり。現実はなかなかうまくいかなかったが)
・2010年4月 母校大学で非常勤講師として週に一コマのワークショップを出講
(福田さんは酒井信さんを誘ったが断られて、その代打として私に話が回ってきたのが1月頃だった)
・2010年10月 怪文書事件発生
(2023年6月30日付、2023年8月11日付の投稿に関連あり)
・2010年11月 福田ゼミの謝恩会開催
(99年入学組の幹事として関わった。「最後のご奉公」のつもりだった)
・2010年12月 『en-taxi』「角川春樹句会」最終回
・2011年3月 東日本大震災発生
(たしかその翌日に神保町の東京堂書店で、坪内祐三さんと福田さんのトークライブが開催された。打ち上げ後に福田さんをご自宅へ送る際、なぜか戸越のカラオケボックスに立ち寄った記憶あり。福田さんとサシで飲んだのはこれが最後だったと思う)
・2011年12月 福田さんの「放蕩」の実態がご家族に露見し、年末に家出
・2012年1月 ご家族からの連絡を受けて、捜索に協力
(2024年12月27日付投稿参照。奥さんを大学へ案内したのは、2月の第一週か第二週、学期最後の授業の日だった。夫の勤務先へ行くのは本当に「気が進まない」ことだったに違いなく、最低限のマナーとして「教室内には立ち入らない」と事前に打ち合わせていたことを追記しておく)
・2012年2月か3月 福田さんのお子さんと文藝春秋の飯窪氏との面会に同席
(私が見た限り、福田さんのご家族が一番心配していたのは、家出以降の原稿がたとえようもなく荒れていったことだった。2024年1月19日付投稿参照)
・2012年3月 青山ブックセンターで福田さんのサイン会
(店の前で福田さんのお父上を出迎えて、会場まで案内した。私がお父上と対面したのはこの一度きり、小柄で、足元が覚束なかった記憶あり。私自身も列に並び、著書『村上春樹12の長編小説』にサインをもらったが、ため書きには福田さんのお子さんの名前を指定した。お子さんの名前を書く福田さんの手は震えていた)
・2012年5月頃 蔵書を中心に、福田さんが置いていった荷物の片付けを手伝う。
(2023年5月12日付、2023年5月19日付、2024年6月16日付投稿参照)
(非常勤講師として母校大学に出講したのは2012年春学期が最後。福田さんからは何の連絡もなし)
・2012年9月 『病気と日本文学 近現代文学講義』刊行
(学生時代に録音した音源を元に構成した講義録。制作の途中で家出騒ぎが発生して、担当してくれた洋泉社の雨宮さんにも迷惑をかけた覚えあり。最終章に単行本のための「特別講義」を設けたが、レコーダーを回しても福田さんは意味のあることをほとんど喋らなかったため、指定された教材と断片的な言葉を手掛かりとして九割方は私がでっちあげた)
(以降、福田さんとの個人的な関わりは一切なし)
10年前の講義をテキスト化したもの。文字起こしをしながら、「福田先生こそ病気なんじゃないの」と震撼した覚えあり。