洗濯機にマグネットで取り付けられるバスマットホルダーという商品を通販サイトで見つけて、便利そうだからもしよかったら注文しようか──少し前に実家でそんな話をしたところ、父が苦々しい表情で言い切った。
「またアマゾンか。アマゾンのせいで本屋がつぶれた。アマゾンは嫌いだ」
それは違うよ、町の本屋が激減したのはそもそも日本の出版の流通構造に問題があったからだよ、と言いかけて飲み込んだ。出版関係者ではない人に「日本の出版の流通構造」を説明するのは骨が折れる。私としては単に、濡れたバスマットは洗濯機のフチに掛けておくより広げて干しておいたほうが乾きやすいと思っただけだ。
「他の店でも取り寄せできるから、まあちょっと考えといてよ」
そう言って話を畳んだが、父は憮然としていた。よほどアマゾンが嫌いらしい。
それでも、町の本屋が激減したのはアマゾンのせいではない。インターネットのせいでもブックオフのせいでも図書館のせいでも、もちろんない。『町の本屋はいかにしてつぶれてきたか 知られざる戦後書店抗争史』を読めば、父にもそれがわかるだろう。とはいえ全十一章(約350頁)中、アマゾン(およびその他のネット書店)が登場するのは最終章。本を貸したところで父が最後まで読むかどうかはわからない。もう少し簡便に、父の思い込みをほぐす方法はないだろうか。
アマゾン日本語版サイトがオープンしたのは2000年、私がフリーライターとして活動を始めたのは2003年だった。私は資料として必要な本がほぼ確実に手に入るアマゾンを重宝しながら、出版関係者によるアマゾン批判を否定できずにいた。
「大企業による寡占は、市場にとって健全ではない」
「アマゾンが送料無料にしたために、再販制度が崩れた」
「このままだと町の本屋がつぶれる」
私よりも経験豊富な人たちがそう言うのなら、きっとそうなんだろう。私自身、漠然とそう思い込んでいた。考え直すきっかけとなったのが電子書籍の登場、時期としてはiPad日本語版が発売された2012年頃だった。
出版物の流通効率を示す指標の一つに「返本率」がある。限られた売り場面積で、昨日売れた本より今日届く本のほうが多いとなれば、書店側は返本するしかない。私がライターを始めた当時から返本率の高さは常に問題視されていた(ちなみに2012年当時は37~38%)。
電子書籍と紙の本で棲み分けすれば、紙の本の物流サイクルがゆるやかになるかもしれない。一つのタイトルが売り場に長く置かれれば、買ってくれる人の目に留まって、返本率が下がる可能性がある。私にはそう思えたのだが。
「電子版を安売りすると、紙の本が売れなくなる」
「お世話になってきた町の本屋を裏切ることはできない」
電子書籍の普及を期待する声は、身の回りでは皆無だった。ほとんど興味も持たれていない。なんかヘンだ……そう思って調べ始めると、出版業界の「常識」はあれもこれもが疑わしい。
「インターネットで情報がタダで手に入るようになったから、雑誌が売れなくなった」
「売れる本を図書館でぐるぐる貸し出しされると、ベストセラーが生まれにくい」
……この人たちとは話が合わない。とにかく一旦、出版業界を離れよう。そう思ったのが2015年頃だった。
書籍流通の問題点を解決するものとしてネット書店を捉えた論考に木下修「オンライン書店は書籍流通に何をもたらしたか」(『オンライン書店の可能性を探る』2001年所収)がある。
木下は、適正な流通マージン率にし、返品抑止システムをつくって高返品率から脱し、適品・適量・適時の流通取引システムにして書籍だけで利益が出る構造にすべき、と提言した。
1、高機能の注文対応型の書籍流通システム
2、大型の書籍ディストリビューションセンター(書籍流通センター)の設立
3、書籍の正味引き下げ(特に注文品・買切品の正味引き下げ)
が必要だ、と。Amazonはこれらを実現している。ただしその理由は「お金のある外資だから」だけではない。2000年前後のAmazonは新興勢力であって「大書店」ではなかった。(中略)
国内の取次や書店業者も、ネット書店業に果敢に挑んだ。だがAmazonはどの国内事業者よりも長期視点に立って先行投資をし、巨額の赤字を掘りつづけながら顧客が望む出版流通を築き、顧客基盤ができあがると、出版社や物流会社から有利な取引条件を勝ち取っていった。
筆者はAmazonを称賛したいわけではない。しかしAmazon登場以前に長い間出版流通上の問題だと語られてきたことをこの企業が自力で解決し、公取が望んできた「弾力化」を実現したのは間違いない。そしてそれができない町の本屋を、追い込んでいることも。(「第十一章 ネット書店」より)
顧客を満足させることが、企業の使命である。ゆえに企業経営にとって、顧客を定義することが最初にして最大の課題である。──たしか「もしドラ(『もし高校野球の女子マネージャーがドラッガーの『マネジメント』を読んだら』/岩崎夏海/ダイヤモンド社/2009年刊)にそんなことが書いてあった。
著者にとっての顧客は誰なんだろう? 出版社にとって、取次店にとって、書店にとっての顧客は誰なんだろう? もし「読者/本を読む人」と定義するなら、少なくとも「出版社V.S.図書館」という論争は発生しなかっただろう。「電子書籍が売れると紙の本が売れなくなる」という抑圧も。
日本国内のアマゾン・ユーザーは推定6000~7000万人。私はその一人として、アマゾンのサービスに概ね満足している。敢えて不満を挙げるとすれば、AWSがイスラエルのデータセンターに巨額の投資をして、軍と政府にクラウド・コンピューティング技術を提供していることだ。
「アマゾンのセール期間に買うのを止めよう、というオンライン署名に参加したよ。本を買う側としては、私はアマゾンのサービスに満足しているけど、入植活動への投資には反対だからね」
父には、そう話してみようか。もしそれで耳を貸してくれるようだったら、大型書店でバイトしていた頃の話とか、書店のマージン率の低さとか、運賃の高騰と再販制度の矛盾とか、そんなようなことを話してみようかと思う。