ライターズブルース

読むことと、書くこと

あとから生まれたわたしたちは

『ブレヒトの詩 ベルトルト・ブレヒトの仕事 3』/責任編集・野村修/河出書房新社/1972年刊

あとから生まれるひとびとに


ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!
無邪気なことばは間がぬける。つややかなひたいは
感受性欠乏のしるし。わらう者は
おそろしい知らせを
まだ受けとらない者だけだ。

なんという時代──いまは
木々についての会話が、ほとんど犯罪に類する、
なぜなら、それは無数の非行について沈黙している!
平穏に街路をわたるあのひとは
苦境にある友人たちからは
もはや手の届かぬひとではなかろうか?

たしかに、ぼくはまだ食えている
でも嘘じゃない、それはただの偶然だ。ぼくの仕事は
なにひとつ、ぼくに飽食の権利をあたえていない。
まずは運がよかったのだ。(運がなくなればおしまいだ。)

ひとはいう、飲んで食え、きみの所有をよろこべ、と。
だがどうして飲み食いできようか、もしぼくの
食うものが飢えたひとから掠めたもので
飲む水が、かわいたひとの手の届かぬものだとしたら?
それでもぼくは食い、ぼくは飲む。

賢明でありたい、と思わぬこともない。
むかしの本には書いてある、賢明な生きかたが。
世俗の争いを離れてみじかい時を
なごやかに送ること
暴力とは縁を結ばずに済ますこと
悪には善でむくいること
欲望はみたすのでなく忘れること
が、賢明なのだとか。
どれひとつ、ぼくにはできぬ、
ほんとうに、ぼくの生きる時代は暗い!


ぼくが都市へ来たのは混乱の時代
飢餓の季節。
ぼくがひとびとに加わったのは暴動の時代、
ぼくは叛逆した、かれらとともに。
こうしてぼくの時が流れた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

戦闘のあいまにものをたべ
ひとごろしたちにまじって眠り
恋のときにも散漫で
自然を見ればいらだった。
こうしてぼくの時が流れた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくの時代、行くてはいずこも沼だった。
ことばがぼくに、危ない橋を渡らせた。
ぼくの能力は限られていた。が、支配者どもの
尻のすわりごこちを少しは悪くさせたろう。
こうしてぼくの時が流れた
ぼくにあたえられた時、地上の時。

ぼくの力は乏しかった。目的地は
まだまだ遠かった、
はっきり見えてはいたが、しかしぼくは
行き着けそうにない。
こうしてぼくの時が流れた
僕にあたえられた時、地上の時。


きみたち、ぼくたちが沈没し去る高潮から
うかびあがってくるだろうきみたち、
思え
ぼくたちの弱さをいうときに
この時代の暗さをも、
きみたちがまぬかれえた暗さをも。
じじつぼくたちは、靴をよりもしばしば国をはきかえて
絶望的に、階級間のたたかいをくぐっていったのだ
不正のみあって、怒りが影をひそめていたときに。

とはいえ、ぼくたちは知っている
憎しみは、下劣なものにたいするそれですら
顔をゆがめることを。
怒りは、不正にたいするそれですら
声をきたなくすることを。ああ、ぼくたちは
友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は
友愛をしめせはしなかった。

しかしきみたち、いつの日かついに
ひととひととが手を差し伸べあうときに
思え、ぼくたちを
ひろいこころで。
(原題:an die nachgeborenen、野村修訳)

 手元にある数少ない詩集の中から、ベルトルト・ブレヒトの詩を引用しました。

 ブレヒト(1898-1956)はドイツの劇作家で詩人。ヒトラー政権の成立直後にドイツを離れてヨーロッパ各地を転々。1941年にはアメリカへ亡命したものの、戦後は反共産主義の高まりを逃れて出国。スターリン体制下の東ドイツで葛藤を抱えながら、表現活動を続けたとされています。

「英雄のいない国は不幸だが、英雄を必要とする国はもっと不幸だ」

「科学の目的は、無限の英知への扉を開くことではなく、無限の誤謬に一つの終止符を打つことだ」

「彼の敗北を喜ぶなかれ。世界がその畜生を阻んでも、そいつを産んだメス犬がまた発情する」

 2025年の日本で、通称・オレンジナチスの台頭に不安を抱く人たちへ、ブレヒトの言葉を届けたいなと思いました。