ライターズブルース

読むことと、書くこと

電子書籍、私の場合

『HIROHIRO ARAKI WORKS 1981-2012』(ジョジョ展イラスト集)/荒木飛呂彦集英社/2012年刊

 丸三日かけて整理して、業者に引き取ってもらった古本は段ボール17箱分。電子書籍だったなら引越し前にそんな苦労はしなくて済んだはずで、「紙の本はもうこりごり」と結論してもおかしくないように思う。しかし古本の買取代金を家具・家電の処分費用に充てた結果、「電子書籍は読まなくなっても売ることができないのだから、やっぱり高いよなあ」なんて思ったのは、連日の作業で頭も体も疲れていたせいか? 実際のところどうなんだろう、電子書籍というものは。その値段は、紙の同タイトルの九割強という現在の相場が妥当なんだろうか。

 電子で買っておいてよかったと思うタイトルも、中にはある。たとえば『ジョジョの奇妙な冒険』。第8部まで通算131巻(現在第9部を連載中)、かなりのボリュームだ。そもそも私が初めて電子書籍を買ったのも『ジョジョ』だった。2012年、iPad日本語版が発売された年。電子書籍ePUBというファイル形態)はその数年前から日本国内で流通し始めていたけれども、パソコンや携帯電話で本を読もうという気にはなれず、タブレットという端末を手にしたときに「これなら読めるかも」と思った。かねてコミックスを揃えようか迷っていた『ジョジョ』第6部を試しに買ってみた結果、内容は問題なく楽しめた。紙とほぼ変わらない値段には「高いんじゃないの」と思ったものの、場所をとらないことは最大の魅力だと感じた。

 しかしそれ以上に印象的だったのは、同じ年に六本木の森タワーで開催された原画展だ。私は熱心なジョジョファンとは言えない(コミックスを買おうか迷うくらいのヘナチョコだ)けれども、原画の迫力はすごかった。絵が熱源となって会場の室温が2℃くらい上昇している感じ。私が第6部に続いて第1部から電子版で揃えたのは、このすごさと比べると紙のコミックスの魅力もかすむ、原画には到底及ばないのだから電子でもいいか、と納得したからでもある。

 会場で販売されていたイラスト集『HIROHIRO ARAKI WORKS 1981-2012』は、展覧会の図録としては小さいけれどもコミックス版よりは大きく、会場で見た原画の存在感を思い出させてくれる。後年に発売された画集と比べて画質は粗いながらも、約350頁フルカラーをコミックスのように両手で持ってパラパラ捲れるのは楽しい。手に取ると「これがあるからコミックスは電子でもいいか」と思うと同時に、「これが3,800円で電子は……」とも思う。やっぱり、高いんじゃないのかなあ?

 紙代も印刷代も倉庫代もかからないのに、どうしてこんなに高いんだろう。そう思って、じつは電子書籍関連の会社に潜り込んだことがある。2016年から2017年にかけて、大手出版社と書店が出資する合弁会社で、従業員と役員を足して常勤は十名に満たない小さな会社だった。

 親会社の経理部に面倒を見てもらいながら一年余り帳簿をつけた結果、電子書籍のデータの管理にはかなりの費用(人件費)がかかることを知った。電子の販売価格は紙の同タイトルとのバランスを重視して決まるケースが多いと思うが、少なくとも私が勤めた当時の会社は、ボロ儲けとはほど遠かった。それに、システム会社に支払う費用は月単位、人数単位によって決まる。その費用を一冊あたりに割り当てることが難しい以上、原価から一冊の売値を算出することは、考え方として無理がある。売値も月単位、ユーザー単位で決めるほうが理にかなっているのかもしれない……経理初心者としてそんな風に思ったものだ。事業内容はベンチャービジネスなのに、運営がベンチャー企業じゃないからうまくいかないんじゃないの、とも。

 電子書籍の価格を妥当と感じるかどうかは、当たり前だけれども人によると思う。私の場合は、巻数の多いコミックスは電子で買って、それ以外は紙で買うことが多く、”Kindle unlimited”に読みたいタイトルが複数入っていると二、三ヶ月契約してまとめて読み、またしばらく解約する。我ながら消極的な使い方だ。

 本当はもっと別の、電子書籍ならではの楽しみ方があるんじゃないのかな。紙の本の補完ではなく、もっと積極的にお金を使いたくなるような電子書籍って、あっていいんじゃないかな。今でも時々、そんなことを考える。それはもしかすると「電子書籍」という名前ではないのかもしれないけれども。

小口を左手で傾けると「オラオラ」が、右手で傾けると「無駄無駄」が現れる。紙の本ならではの仕掛け。