『誰が音楽をタダにした?』は1990年代から2010年代にかけて、音楽の流通形態がCDからストリーミング配信へと移り替わっていった舞台裏を描いたノンフィクション。日本語訳が出た頃に書店で手に取ったけれども、早川書房ならそのうち文庫にしてくれるだろうと思って、結局買わなかった覚えがある。当時の私は電子書籍関連の会社で契約社員をしていた。時給は東京都の最低賃金に近く、買いたい本は他にもあって、それきり忘れてしまった。
最近になってようやく読んでみると、あの頃ケチケチしないで買えばよかったと思ったり、いや、読むのが今でよかったと思ったり。少し複雑な気持ちになってしまうのは、かつて自分が身を置いていた出版業界と、音楽業界を比べてしまうからだと思う。
たとえば以下引用中の「mp3」を「EPUB」に、「CD」を「紙の本」に、「デジタルジュークボックス」を「電子書籍」に置き換えると、音楽業界と出版業界で同じようなことが起きていたと類推できる。ある地点までは。
「自分がなにをやってのけたか、わかってる?」最初のミーティングのあとにアダーはブランデンブルクに聞いた。「音楽産業を殺したんだよ!」
ブランデンブルクはそう思っていなかった。mp3は音楽産業にぴったりだと思っていたのだ。ただその経済的なメリットを理解してもらえるかどうかの問題だった。でもアダーにはわかっていた。デジタルジュークボックスが普及しないのは、ライセンスをもらえないからだ。音楽産業はデジタルジュークボックスがCDの売上を食うことを懸念していて、アダーはそうではないことをこの2年間だれにも説得できずにいた。レコード会社の考え方を、アダーはブランデンブルクに説明した。CDの高い利益率、著作権への頑なな姿勢、インターネット全般と特に未来の録音技術への無関心、というよりそれをあえて知ろうとしないこと。(中略)音楽会社はCDと固く結ばれていた。結婚のように、病める時も健やかなる時も。(「第4章 mp3を世に出す」より)
ある地点で、音楽業界はCDに見切りをつけて定額制もしくは広告制の配信事業に舵を切った。アメリカと日本では多少差があるにせよ、少なくとも日本の出版業界は、全国の書店数が年々減少していく中で未だに電子と紙の本をほぼ同価格でバラ売りしている。その違いは、何なんだろう?
電子書籍関連の会社に勤めていた当時のことを思い出すと、一番憂鬱だったのは会議の議事録を作成することだった。出版社から出向中の役員は、出版社が損をしないように。書店から出向中の役員は、書店が損をしないように。そんな話ばかり。テーブルの隅でキーボードを打ちながらつくづく思った。ここには「著者」も「読者」もいないんだなと。
その少し前までフリーライターをしていた私は、不毛だなあと思いながら、議事録は丁寧に作った。やらなきゃいけないことは他にもあるし、そもそも内輪向けなんだから、ほどほどでいいのに、その加減がわからない。正確で簡潔で読みやすい議事録を目指してしまう。こんなものに時間をかけるなんて、ライターとしても会社員としてもクソだ、と思いながら。
その後、出版と関係のない会社でも同じような経験をした。どういうわけか私は、文章に関わることでいい加減なことをすると、自分で自分をダメにしてしまうような気がする。これはもう、ある種の信仰心のようなものなんだろう。
出版社や書店から出向していた彼らは彼らで、別の何かを信仰していたのかもしれない。経済的な豊かさとか、組織内での立ち位置とか、社会的な名声とか。私が無自覚だったように彼らも無自覚で、私が私の信仰をどうすることもできなかったのと同じように、彼らの信仰を否定しても仕方がない。……今ではそんな風に納得している(おおむね)。
それでこの本に登場する人たちも、それぞれがそれぞれの内側に信仰心(のようなもの)を抱えているように見える。たとえばCDの10分の1以下までデータを圧縮する技術(mp3)を開発した研究者は、やっぱりテクノロジーを信奉していたんだろうな、とか。あるいは史上最多の音源をネット上にリークしたCD工場の労働者とっては、海賊版ブームを影で牽引することは一種の自己実現だったんだろう、とか。
私にとって興味深かったのは、CD全盛期に数々のレーベルを買収して音楽業界に君臨したプロデューサーだ。自分の報酬や権力を固持する一方で、一度引き取ったミュージシャンとは、相手が落ち目になっても長く付き合う。市場調査のつもりで孫と一緒にユーチューブを見たり、それをきっかけに配信事業に活路を見出したり。なんというか、自分のこだわりをちょっと脇に置くようなことをところどころでしている。エグゼクティブの余裕というものか、作曲家を志して挫折した過去の教訓というものか、わからないけれども。
自分の信仰心(のようなもの)を相対化して、時には他の誰かの信仰心(のようなもの)に譲る。もし今後、日本の出版産業を方向転換させる人が出てくるとしたら、そういう人なんじゃないだろうか。その方向が良かれ悪しかれ。