ライターズブルース

読むことと、書くこと

ジャズの屈託、私の屈託

『ポートレイト・イン・ジャズ』/和田誠村上春樹新潮文庫/平成16年刊

 ジャズという音楽には気ちがいじみた愛好家がたくさんいて、派閥を形成して隠語で通じあったりウンチクを競いあったりしている、という勝手なイメージを長いこと抱いていた。歴史もフクザツそうだし、うっかり近づくと面倒なことになりそうだから、ビル・エヴァンズとかセロニアス・モンクとか、お気に入りのアルバムはいくつかあっても、それはそのピアニストが好きなのであって「ジャズが好きなわけではない」、そう思うことにしてきた。

 数年前、アメリカのテレビドラマを観ていたらバックグランドに流れているピアノのメロディーが妙に気になって、頭から離れなくて、調べてみたらオスカー・ピーターソン・トリオの演奏する”The Shadow of Your Smile”。その曲が入っているアルバムを買って何度か聴いているうちに、こういうのもっと聴きたいなあと思って、他の盤や他のトリオ、サックスが加わったカルテットやソロ等々に徐々に手が伸びていった。「ジャズっていいなあ」と素直に頷けるようになったときには四十歳を過ぎていたのだから、遅蒔きもいいところだと思う。

 

『ポートレイト・イン・ジャズ』という本を手に取ったのも、ほんの数年前だ。和田誠さんが描いたミュージシャンの肖像画村上春樹さんがエッセイを寄せた画文集で、絵も文章も、見飽きないし読み飽きない。それぞれの分野で独創的な仕事をなしてきた人たちによって、こういう本が成り立つこと自体、ジャズという音楽の豊かさなんだろう、たぶん、きっと。

 とても楽しい本だけど、でもあまり不用意に開かないことにしている。読めば聴きたくなるディスクガイド的側面もあって、実際にこの本に誘われて買ったアルバムがいくつかある。買わなければよかったと思うものは、一つもない。ただ、村上春樹さんによる解説があまりにピタリとハマり過ぎていて、そういう風にしか聞こえなくなってしまうのだ。

 たとえば『ELLA AND LOUIS AGAIN vol.2』。エラ・フィッツジェラルドルイ・アームストロングの「ハッピーでスインギーな」共演アルバムだが、特筆されているのはエラのソロ曲だ。「舞台でいえば、熱唱を終えたルイが拍手に送られて楽屋にさがり、エラがひとり静かにステージ中央に歩み出て、照明がすうっと暗くなる」……そういう演出をしたプロデューサーの手腕を褒めつつ、オスカー・ピーターソンによる伴奏が「なかなかいける」。

 よく聴き込むと、エラとピーターソンの「思い出のたね」にはいくつかの聴かせどころがあることがわかる。とくに「隣のアパートメントから聞こえるピアノの爪弾きが……」というところですっと裏に入ってくるピアノのパッセージは、いつ聴いても「いいなあ」と思う。芸である。小説なら文句なしに直木賞をあげたい演奏だ。(「エラ・フィッツジェラルド」より)

 これはと思ってCDを買い、耳を澄ませてみると……。たしかに直木賞っぽい! ほんとにもう、そういう風にしか聞こえない。それで何が困るというわけではないけれども。「この音楽はなんだろう?」という心持ちで耳を傾け、自分のペースでその音楽を咀嚼して体に馴染ませてから、誰かに伝えるために言葉を見繕うというプロセスが、ごっそり失われてしまう気がするのだ。

 もちろん本が悪いわけではない。「よく聴き込むと」とさりげなく前置きされているが、それがどれほどの回数と集中力であったか。そういう経験を積んでこなかった、ジャズという音楽を何度も素通りしてきた私が悪いのだ。

 

 先月、友達の友達がビッグバンドでサックスを吹くからと誘われて、ライブに行ってきた。アマチュアと聞いていたからあまり期待しないようにしていたのだが、冗談のような木戸銭で入れてもらったことが申し訳なくなるくらい、すてきなステージだった。

 奏者がみんな楽しそうでよかったとか、複雑そうな和音が気持ち良く響いていてスゴイと思ったとか、スタンダードナンバーから新譜まで選曲がおもしろかったとか。終演後、友達の友達に感想を伝えると、楽器のことやバンドの成り立ちのこと、「ベーシストは良い人が多い」とか「トランペットは高い音をまっすぐ出すのが難しい」とか、興味深い話をいろいろと聞かせてくれた。

「ほんとにジャズが好きなんだね」
 誘ってくれた友人にそう言われると、ついクセで「いや、そんなことは……」と否定したくなったけれども。
「うん、そうみたい」
 いい加減、素直に肯定しないといけない。全然詳しくないけどね、と付け足さずにはいられなかったにしても。

 そのときサックス奏者が勧めてくれたカウント・ベイシー楽団の『BASIE IN LONDON』を、最近よく家でかけている。『ポートレイト・イン・ジャズ』にもカウント・ベイシーの頁があることを思い出したけれども、その頁を開くのは、もう少し自分の耳で聴いてからにしようと思う。

和田誠さんによるオスカー・ピーターソン像。村上春樹さんによる評は……。これから初めて聴く人もいるかもしれないから、引用は差し控える。