俳句の集まりに少し関わることになって久しぶりに歳時記を手に取ってみると、あまりにも状態がひどくて少したじろいでいる。意図して付けた折り皺とそうでない折り皺が無数に入っているのはともかくとして、擦り切れた背表紙がガムテームで補強してある。それもまあ仕方なかったとしても、赤い装丁に、よりにもよって水色のガムテープはまったく似合ってない。その水色もところどころ茶色く変色しているし、いざ広げると補強の甲斐もむなしく、背表紙がべろんと本体から剥がれかかる。本体の小口も天も、飲み物だかタバコのヤニだかわからないシミだらけだ。
それだけ使い込んだといえば聞こえはいいけれども、長くまっとうに俳句を続けている人の歳時記は、むしろきれいに使われていることのほうが多いように思う。以前参加していた句会では革の表紙に手脂で艶が出た、愛用という言葉がぴったりな歳時記を見かけたことがある。ひきかえ私のは、狼藉の跡としか言いようがない。せめて外函をとっておけば良かったものを、いつどうやって棄ててしまったのだったか。
云々と書いているうちに、久しぶりに俳句を作りたくなった。作ろうとしたけど、まあ作れなくて、昔はどうやって作ってたんだっけ。昔から別にたいして作れていなかったのか。この歳時記、人前に出せないくらいみっともなくて、でも捨てられなくて、結局なんだか私みたいだ。
……というわけで雑詠十句。
父の日の午后の麦酒のしづかなり
生よ死よハブ酒のハブの云うことにや
蜥蜴鳴く私はわたしに名をつける
島影はうすくとほくに原爆忌
ババ抜きのババがぐるぐる熱帯夜
サングラスはずして昔の話など
網膜に無数の穴あく晩夏かな
ゆく夏のしづかな雲と波の詩
歳時記をとぢて無縫の夏逝かす
片恋のあと拭きあげて秋に入る
以下はお知らせ。
7月頃まではだいたい週に一度の更新を目安にしていましたが、ちょっと身辺がばたついてきて、しばらく不定期更新となりそうです。なるべく本について書きたいと思っていますが、読んで書く時間がないときは俳句一つとか、そんな感じになるかもしれません。
読んでくださっているかた、どうもありがとう。ではまた。