誰かを指して器が小さいと言えば悪口になるし、器が大きいと言えば褒め言葉になる。でも、必ずしも大きい方が良いとも限らないんじゃないか。私がそう思うのは、若い頃に自分の器を無理矢理広げるようなことをしたという実感があるからだ。
たとえば15年前、雑誌に吉田明さんという陶芸家の追悼文を書いた。経緯としては、私がお世話になっていた福田和也さんという人がいて、吉田さんはその福田さんが懇意にしていた。福田さんは自分が追悼文を書くべきところを、なぜか私に「書きなさい」と言った。当時の私は作家ものの器なんて一つも買ったことがなく、当然、陶芸のことは何も知らない。取材に同行して窯場にお邪魔したことはあったけれども、故人との面識はその一度きりだった。
そしてまた、吉田明さんという人は明らかに「規格外の人」だ。素人にできるのは粘土を成形して乾燥させて、せいぜい釉薬をかけるくらいのことで、焼成は業者任せが当たり前だった陶芸の世界で、「七輪陶芸」というものを発明した。バーベキューで使うような七輪に、乾燥させただけの粘土の塊を突っ込んで、通風口からドライヤーで熱風を送り込む……理には叶っているのだろうけれども奇想天外な焼き方は、吉田さんが思い付かなければ誰もやらなかったんじゃないか。七輪陶芸は「規格外」の一例であり、吉田さんの器を扱っていたお店の主人は陶芸家と呼ぶことをためらい「天才」という言葉を使っていた。
そのとき、残った灰の中に1個のぐい呑みを入れたままにしておいたら、次の朝、うっすらと木炭の灰が溶けているではないか。灰が溶けているということは、温度が1200度にはなっているということである。七輪ではせいぜい800度ぐらいにしかならないと思っていた私は驚いた。1200度以上の高温が保てるなら、誰でも簡単に、好きなときにやきものが焼ける……そう思って、私はこの『七輪陶芸入門』をつくることにした。(「あとがき」より)
追悼文を引きうけてしまった私は、吉田さんの最後の窯場で遺作展が催されると知って、新潟県十日町市に出かけた。おっかなびっくり買った茶碗や湯呑みを持って、福田さん行きつけのバーに行くと「これ、ほんとに吉田が作ったの?」と一蹴された。以前に八王子の窯場を火事で全焼したことがあると聞いて、八王子の図書館に行って新聞の縮刷版から記事をコピーした。それを持ってまたバーに行くと、福田さんは出火原因を巡って吉田さんらしいエピソードを聞かせてくれた。そういう風にして「取材」を進めた。
追悼文を書くのは初めてのことで、私は他の人が書いた追悼文をいくつか読んで、その良し悪しについて考えた。結果、良い追悼文には「怒り」があると思った。その人がいないことの理不尽に対する怒り。やり場のない、不快で無益で無償の感情。吉田さんの死が早すぎることは理解しながらも、私自身には怒りと呼べるほどの強い感情はない、福田さんの怒りを代弁するのが自分の役割だと、当時はそういうつもりで原稿を書いたのだったが。
私にも怒りはあったな、と今は思う。というのも、福田さんは私が原稿を引きうけた後、唐津風の絵皿と粉引の耳杯をくれた。吉田さんの器を一つも持たずにその追悼文を書くのはさすがに無理だと思ったんだろう。こんなのもらったくらいで書けるかよ、ナメてんじゃねーよ、と私は思った。自分が書きたくないからって人に押し付けてんじゃねーよ、と思いながら私は書いた。実際、もらった器は原稿を書くうえでは何の役にも立たなかった。福田さんの怒りと私の怒りと、どちらが原稿に資したかは、よくわからない。
そういう風にして書いたこと、自分の器を広げたことを、良かったとも悪かったとも思わない。ただ、器というものはたぶん、大きくすることはできても小さくすることはできないし、無理矢理大きくすれば歪んだり割れたりする。それが私の実感だ。
最近「金継ぎスターターセット」というものを買って、初めて金継ぎをやってみた。少し前に割ってしまった別の作家の器を修復するためだったが、吉田さんの絵皿も、もらったときから端が少し欠けていたのを思い出して、ついでに補修した。おそらく福田さんは、四、五枚の組皿の一つが欠けてしまって、それを私にくれたんだと思う。……ったく、ナメやがって。そう思いながら今では、私はその絵皿を気に入っている。直す前よりずっと。