ライターズブルース

読むことと、書くこと

プロとアマチュアと、それ以外

『波止場日記 労働と思索』/エリック・ホッファー/田中淳・訳/みすず書房/1971年刊

 肉体労働とか頭脳労働という言い方になぞらえて、自分は感情の労働者だ、と思っていた時期がある。たとえばある人物のインタビュー記事を引きうけると、その人の著書や過去の関連記事を読んで「ポイント」を探す。どんなに小さくてもいいから、好奇心や共感を寄せられるポイントを見つけて、それをできるだけ増幅させる。その人物に対面したときに「会えて嬉しい」「話を聞きたい」、そういう気持ちがなるべく自然に出てくるように自分で自分を仕向ける。増幅させた感情は、記事を書き終えるとほとんど同時に消え失せる。

 取材対象は人物に限らず、店とかイベントとかその時々で色々だったけれども、ほとんど無意識的にそんなやり方をしていた。当時の私の基本的な考えとして、原稿料をもらって文章を書くなら、読んだ人の心を動かす文章でなければならない。そのためには、まずは自分の心を動かさないと始まらない。深い知識とか特別な閃きとか、そういうものは自分にはないから、売り物になるとしたら心の動きだけだ、と思っていた。

 誰に教わったのでもないその「やり方」が正しかったか間違っていたか、フリーライターという職種としては、おそらく間違っていたんだろう。三十をいくつか過ぎた頃、いろんな物事に対して心があまり動かなくなった。映画やドラマを見てもおもしろくない。本を読んでも集中できない。人と会っても心から楽しむことができない。伸び切ったゴムみたいなもので、特に困ったのは、自分の書く原稿に以前のような興味や執着を感じられなくなったことだった。原稿料さえもらえれば出来も不出来もどうでもいい……そうなることが怖くて、そうなる前に他の仕事をすることにした。

七月一日
 第三十四埠頭、フライング・エンタプライズ号、九時間。忙しい一日。だが不愉快ではなかった。仕事は絶え間なかったが、せきたてられはしなかった。
 近ごろ朝晩は冷えて雨がちだが、昼近くになると暖かい陽がさしてくる。ドックの後方の広い開口部から見える湾の景色がオトギの国のようだった。外の景色は窓からは部屋に入ってこれず、ドアからだけ入ってくる。
 休みをとってもほとんどなにもできない私は、文筆家としては失格である。たしかに、ときには独創的な考えが浮かぶこともある。そして一心不乱に考えれば、最後には何とか二~三〇〇〇語の文章を組み立てることもできる。しかしそれには一年という歳月がかかるかもしれない。いつもいちばん重要な言葉がすぐに浮んでこない。そのつどあらたに探し出さなければならない。

 エリック・ホッファーは文筆家としてプロになることを選ばなかった、そのために「異色の哲学者」として名前を残した人だ。最初に本を出したのは49歳のときで、二冊目、三冊目を出版しながら、65歳まで港で働き続けた。大学の仕事にも誘われて、執筆に専念することもできたはずなのに、そうはしなかった。

『波止場日記 労働と思索』はタイトルどおり、サンフランシスコ港における日々の労働と思索についての日記だ。その日の船荷のこと、離れて暮らす息子のこと、本の感想など。雑多な題材のなかで、私が親しみを覚えるのは学者や作家、いわば「自称・知識人」への懐疑だ。たとえば「ただ単に書くという習慣からぶあつな本が無数に生れるのを考えるとぞっとする」……。港湾労働者として働きながら文章を書くことは、彼にとって自然なことだったんだろう。哲学者という言葉は職業ではなく、肩書きでもなく、生き方を指すんだな、こういう生き方もあるんだなと思う。

 良い文章を書きたかったからフリーライターは廃業しました、と人に言ったことはない(たぶんないと思う)。どうも言い訳としてバカバカし過ぎる気がするけれど、白状してしまえば、その当時はそんな心境だった。

 プロとして書き続けることと、良い文章を書くことが、自分の中で二律背反してしまったのは、どういう経緯だったんだろう? 力不足の一語で片付けるのではなく、いずれ整理して書きたいとは思うけれども、書けるだろうか? 「とにかく、書くべきものであるなら書かねばならない」とホッファーは言っている。私は、書けることと書けないことの境界線上でいまだに足踏みしている。

原題は“WORKING AND THINKING ON THE WATERFRONT”。ちょっと、かっこよすぎると思う。