学生の頃、ある講義の課題として以下のテーマが与えられた。
「第二次世界大戦における極限状況下で、表現者たちは表現し得たか」
学生の立場としては、イエスかノーかを答えて、その根拠を挙げる形で規定字数(たしか2000字)のレポートを書かなければならない。頭ではそう理解していても、私はその答えを自分の中に見つけられなかった。「何を表現したか」ではなく「表現し得たか否か」が問われていることの意味を考えながらも、イエスかノーかの二択の前でどうにも足が竦んだ。
講義ではブレヒトやツェランといった亡命作家の詩や文章が読み上げられた。また別の回では「アウシュヴィッツの後で詩を書くことは野蛮である」というアドルノの評論が紹介された。要するに、人間の文化そのものがアウシュヴィッツに代表される機械的な大量殺戮に至る契機を内包している、ということを理解しようとする自分がいる一方で、「友愛の地を準備しようとしたぼくたち自身は、友愛をしめせはしなかった」という詩に心を動かす自分がいる。その間に整合性を見出すことができない。
課題は、課題だからどうにかやっつけたけれども、何をどう書いたのかは覚えていない。単位はもらったけれども、自分は結局この講義を理解できていなかったんだなと感じた。あのとき何を書けば正解だったんだろう。正解とは言えないまでも、自分で納得できるような答えが、いつか見つかるだろうか。
『イェルサレムのアイヒマン』は、その講義で指定されていたテキストの一つだ。ユダヤ人を強制収容所へ移送する実務を担ったナチ親衛隊元中佐を被告とする裁判の傍聴記で、シオニズムについても、イスラエル建国の経緯についても、この講義で初めて知った私にはなかなかの難物だった。
虐殺に積極的に加担した人物が、ユダヤ人も故国を持つべきだというシオニズム思想に傾倒していたことはまだしも理解できる(ヨーロッパからユダヤ人を排除するという点で両者は一致する)。しかし彼がそのイスラエルという国の法廷で裁かれ、死刑に処されたという事実関係のねじれに頭がついていかない。ドイツ哲学を専攻していた先輩曰く「アーレントの文章は、読みにくい」、その言葉を慰めとしたものだった。
理解はできなくても「理解し難いものがそこにあるな」と感じることは、それでも少しは意味のあることだったかもしれない。というのも、その後の社会生活で何度か「あの本に書かれていたのは、もしかするとこういうことだったかもしれないな」と感じる場面があったからだ。
たとえば、絶版になった自著の電子データについて出版社に問い合わせると「データの譲渡料は十万円です」と返ってくる。同じ人に図書館の複本問題について聞いてみると「著者の利益を守ることは出版社の義務ですから」と返ってくる。著者である私には矛盾して聞こえるけれども、出版社という組織のなかで働く人にとっては矛盾でも何でもないらしい……ということがしばしば起きた。矛盾しませんか、と指摘すると出所のしれない大義名分や美辞麗句が返ってきて、私は「あ、アイヒマンっぽい」と連想した。連想することによって心のバランスをいくらか保つことができた。
彼の語るのを聞いていればいるほど、この話す能力の不足が思考する能力--つまり誰か他の人の立場に立って考える能力--の不足と密接に結びついていることがますます明白になってくる。アイヒマンとはコミュニケーションが不可能だった。それは彼が嘘をつくからではない。言葉と他人の存在に対する、したがって現実そのものに対する最も確実な防壁[すなわち想像力の完全な欠如という防壁(独語版)]で取り囲まれていたからである。(中略)
アイヒマン自身にしてみれば、これは気分の変化というだけのことであった。そして、その時々の気分を昂揚させてくれる決まり文句をあるいは自分の記憶の中で、あるいはそのときの心のはずみで見つけることができるかぎりは、彼は至極満足で、〈不整合〉などといったようなことには一向に気がつかなかった。(「第3章 ユダヤ人専門家」より)
学生時代の講義では配布されたコピーを参照し、その後図書館で本を手に取ったものの、私には読めそうもないなと諦めた。いま手元にあるのは2017年に刊行された『新版 エルサレムのアイヒマン』だ。相変わらず「アーレントの文章は読みにくい」が、それがどういう種類の読みにくさであるか、少しはわかるような気がする。この人はたぶん、理解しがたい事柄を、理解しがたいものとして表そうとしているんだと思う。
絵は人に見られることで完成すると、ある画廊の人が言っていた。文章も、人に読まれることによって完成するだろうか。もしそうだとしたら、「表現者たちは表現し得たか?」というあの課題に対する答えは、彼らの書いたものを私が読んで感受しきったときに「イエス」となるはずだ。まだその途上にいる今は、「表現者たちは、表現しつつある」としか言えない。