ライターズブルース

読むことと、書くこと

地味礼讃

『逃避めし』/吉田戦車イーストプレス/2011年刊

 フリーライターをしていた頃、必要もないのに弁当を作っていたことがある。寝る前に炊飯器のタイマーをセットして、朝、炊き上がった米を弁当箱に詰め、おかずを載せて、冷めたら蓋をして、大判のハンカチで包んで置いておく。どこに出かけるのでもない。弁当を詰めたキッチンから十歩くらいの仕事机で、昼飯時になるとそれを広げて食べる。ちょっとバカみたいかなあと思いながらも、自分で自分のために作って自分一人で食べる「自分弁当」が私はわりと好きだった。

 スパゲッティを茹でたり冷凍ご飯にレトルトカレーをかけるだけでも、じつはそれなりに頭を使う。「ツナ缶、これが最後だな」とか「冷蔵庫の納豆、そろそろ食べないとな」とか。財布と携帯電話を持って近所の定食屋に出かけても、メニューを眺めたりお店の人と話したり、それはそれで楽しいけれども、温かいものを食べると眠くなっちゃうし。弁当は冷たい、そのうえ作ってしまえば後は何も考えなくて済む。昨夜の自分、今朝の自分からのエールみたいなものがじんわり冷や飯に染みているというか、「せっかく弁当まで作ったんだから、午後もがんばるか」と気持ちを盛り立ててくれるところが良かったんだと思う。

 この「自分弁当」という言葉、検索するとブログやらレシピサイトやらSNSやら多数あるようで起源は不明だけれども、私にとっての元祖は吉田戦車さんの『逃避めし』だ。人気漫画家が、締め切り前の非常時になぜか作ってしまった創作料理を紹介したエッセイ集。デパートの駅弁大会に行けない悔しさから生まれた「手作り駅弁」とか、原材料費の高騰によりちくわの穴が広がっているというニュースに焚き付けられて作った「ちくわの穴確認弁当」とか。弁当といえば家の外で食べるものだという常識、先入観を覆してくれたのが本書だった。いいじゃないか別に、自宅で食べる弁当を自宅で作っても。

 全体的には弁当ではない回のほうが多いけれども、共通しているのは料理の写真がどれもあまりおいしそうではないことだ。色合いは茶、白、黒が多く、たまに緑や赤が入ってもくすんでいる。まずそうというわけではないけれど、一言でいえば地味、そこが良い。思えば巷に溢れる料理本やレシピサイトの写真は、美しく、おいしそうなものばかり。しかし毎日三度のご飯って、見た目も味もそれほどこだわってはいられない。売り物じゃないんだから。商品じゃないんだから。別にいいのだ、自分さえよければ。

 なんとなくこの連載は、小さい人や若い人に読んでもらいたいような気持ちが常にありました。
 適当でいいから、基本さえおさえれば、自分の身を養うシンプルな食事は自分でまかなえる。こんな程度のものでいいんだよ、と。
 自分の子供へのメッセージでもあったかもしれません。
 今赤ん坊がいるわけですが、10年後は10歳になります。
 その時にたとえば親の留守中、一人で冷や飯に味噌汁をかけて一食とすることができるような「食う力」を身につけてくれたら、どれほど安心なことでしょうか。(最終回「魚醤そば」より)

 引越しに向けて本を整理した際、じつは一番難儀したのが料理関係の本だった。実用書、エッセイ、コミックエッセイ、コミック等々、判型も内容もバラバラ。どの本を処分してどの本を持っていくかという基準が定まらず、おかげで全四巻組の四巻だけを残してしまったり、同じ本を二冊持ってきてしまったり。そんな混乱の最中で『逃避めし』を処分しなかったのはラッキーだった。

 というのも引越し以来ずっと迷っていたけれど、やっぱりカセットコンロを買おうと思う。IHに慣れようと努力はした。掃除が楽という利点はすばらしいと思う。でも、フライパンをひゅんひゅん返したり、腰をかがめて火を弱めたり、ああいうおもしろさがない。IHの上にカセットコンロを設置するなんて、やっぱりバカみたいかもしれないが、別にいいのだ。誰が見ているわけでもないんだから。

初出は「ほぼ日刊イトイ新聞」。連載は終了しているけど、バックナンバーは今も掲載されているみたい。(2023年8月現在)