ライターズブルース

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つぎはぎの作法

『ヘンな日本美術史』/山口晃/祥伝社/平成24年刊

 いつの選挙戦のことだったか、故安倍晋三さんが「日本を取り戻す!」というスローガンを繰り返すのを聞いて、それっていつの日本ですか、とぼんやり思ったものだった。経済成長していた頃のことか、帝国憲法を掲げていた頃なのか、それよりもっと前か。おそらく当人も党本部も、熟考の結果というよりはテキトーにそれらしいことを言っておこうという感じだったんだろう。それはそうと、あの滑舌の悪さがどうにも「取り戻せない感じ」を醸していて、内容的にも形式的にも「もうちょいマジメにやらんかい」という印象ばかりが残った。

「日本は近代を接続し損なっている、いわんや近代絵画をや。」

 画家・山口晃さんの展覧会が催されると知って公式サイトを開くと、キャッチコピーに目が留まった。接続し損なう、とはうまい言い方だと思う。しかも「日本」と「近代(西洋近代)」のそういう関係を前提としたところから「近代絵画」にフォーカスしている。選挙と美術展では向かうべき対象が違うとはいえ、ふと前述のスローガンを思い出して、日本という一語の存在感をひき比べてしまう。政治家(というか元総理大臣)の云う日本と、画家の云う日本、その解像度の落差自体が「接続し損なっている」ことを示しているように感じる。

 こういう催しのコピーは美術館やスポンサー側が考える場合も多いだろうけれども、これは画家本人の言葉だと直感したのは、『ヘンな日本美術史』という好著があるからだ。平安時代鳥獣戯画から始まって、白描画、洛中洛外屏風画、雪舟河鍋暁斎などを題材として、絵を描く人ならではの絵の見方を示してくれている。鳥獣戯画に対して「わざとふにゃっと描くと云うか、ちょろまかすと云うか、仕上げすぎない」、光明本尊に対しては「鶯谷のグランドキャバレー」。第十二回小林秀雄賞を受賞したのは、絵の批評であるばかりでなく近代美術、ひいては日本の近代への批評として機能しているからだと思う。

 近代日本の法整備は、洋服の寸法を直して一張羅に仕立てた感がありますが、近代日本画は、「和装を通すために語学に長ぜしむる」の感がなくもありません。絵が喋る訳はありませんから、この場合、「美術の文法にのせる」と云うのが語学云々に当たりましょうか。つまり、西洋美術の向こうを張った、多分に対外的な「日本美術」を打ち出したと云う事なのです。
(中略)ただ、「美術」と云う明治に訳された言葉でそれ以前の雪舟北斎をくくると云うのは、足利や徳川の将軍を足利総理大臣、徳川総理大臣と呼び直すような無理がある事を忘れてはいけません。呼び直しによって見えなくなった事が幾つもあるからです。(第五章「やがてかなしき明治画壇」より)

 日本の近代文学を紐解くと、しばしば行き当たるテーマの一つに「近代の超克」というものがある。元は昭和17年文學界』誌上で展開されたシンポジウムで、当時の知識人が集まって明治以降の日本を総括し、いかに西洋近代を乗り越えるかを論じたものだ。戦後は知識人による体制翼賛の代表例として、いわば「負の遺産」「黒歴史」にカテゴライズされた。

 私は20代の半ばに仕事の必要から関連資料を読んだはずだが、内容はほとんど記憶にない。難しかったし、ピンと来なかった。ただ「超克」と言った時点で、超克できない感じはした。相手の土俵でがっぷり四つに組もうとしている、圧倒的に不利な感じ。もちろんそれは、その後の敗戦を知ってこその感覚だっただろう。それでも今になって、「近代の超克」ではなく「近代との接続」を考えてもよかったんじゃないか、という気がしてくる。

 アーティゾン美術館ではジャム・セッションと名付けて現代作家を招き、石橋財団所蔵の絵画をモチーフにしたオマージュ制作を依頼している。その四人目にあたる山口晃さんは、雪舟が描いた四季山水図と、セザンヌが描いた山の絵を相手に「現代美術」を制作、披露していた。接続し損なった継ぎ目に新たな紙を貼って、彩色し、全体を一つの絵と見立てるような。

 美術館を出て東京駅に向かって歩くと、高層ビルと高層ビルを前景として、奥に秋めいた雲が浮かんでいた。近寄ったり遠ざかったり、斜めから見たり屈んで見たり。普段使わない視神経を働かせた後だからか、ビルに遮られた雲がうっすらつながって駅舎の巨大な庇の上空に流れているのが見えた。

アーティゾン美術館の展覧会「ここへきてやむに止まれぬサンサシオン」は11月19日(日)まで。