ライターズブルース

読むことと、書くこと

32年後の「心のノート」

『ネットで「つながる」ことの耐えられない軽さ』/藤原智美/文藝春秋/2014年刊

 捨てられないノートが4冊ある。小学校高学年の2年間に担任の先生と交わした交換日記だ。教室の後ろのロッカーの上に専用のボックスがあって、一つは提出用、もう一つは返却用。生徒が提出すると、先生が返事を書き入れて翌日に返却してくれる。ノートは予め2冊用意してあって、毎日書こうと思えば毎日書ける仕組みだった。タイトルは「心のノート」。

 黄ばんだ頁を開くと、書かれているのは家族のことやクラスメイトのこと、学校行事やテレビ番組の感想等々、字は下手クソで内容は幼い。書くことがなくてイラストでごまかしている頁もあるものの、日によって一生懸命、考えながら書いた形跡もある。先生の返事は、全体的には心温まるものが多いが、ときどき「本当にそれで良いのですか」とか「少しがっかりしました」といった厳しい内容もあって、なんというか、子供だからといってナメてない。

 最後の頁には、こんな風に書かれている。

「大人の都合で子どもの気持ちが見えなくなっていた時に、自信を失いかけていた時に、このノートのひとことひとことが心の支えでした」

 教師と生徒、大人と子ども、という感じがしない。ただ単に人と人として、言葉を交わしてくれている。私はたぶん、いろんな意味で貴重な体験をさせてもらったのだと思う。

 ネットことばは紙の書き言葉に近いようでありながら、話しことばのようなスピードで文章がつくられていきます。典型はケータイメールです。そこに推敲や熟慮など入りこむ余地はないようにも感じます。またネットことばでは相手の顔も見えなければ、電話のように声も聞こえてきません。これは書きことばと同じなのですが、ことばを書きこむスピードは会話と同じです。会話のようでありながら相手の顔も声も分からないというネットことばの特性を、ぼくたちはまだほんとうに体得してはいないのです。
(「第一章 ことばから狂いはじめた日本」より)

 12年前、地震津波原発事故をきっかけとしてSNSの利用者が増え、企業や自治体や官公庁の公式アカウントが増えた。災害にまつわる「最新情報」をネットでたぐると、情報と同時に嘆きとぼやき、歓声と悲鳴と怒号が聞こえてくる。当時の私はなぜか「インターネットのほうが怖い」と感じた。津波で行方不明になった人の捜索が続いていることも、原発事故の処理のために危険な作業に従事している人たちがいることも、報じられていたのに。

 しかし、そういう生理的な恐怖を感じたのは、私だけではなかったらしい。作家の藤原智美さんはこの本の中で、印刷技術が生まれる以前の社会と以降の社会を比べて、近代国家は憲法を代表とする「書き言葉」によって成立した、と分析している。そして、日常生活で使われる言葉が「書き言葉」から「ネット言葉」に置き換わることによって、人々の意識も、社会や国家のありようも変わる。書きことばを頼りに生きてきた個人にとって「現在の事態は、足もとの地面がまわりから崩れていって、立っている場所がもう残り少なく、つま先立ちでかろうじて落っこちないですむ、といった感じなのです」と。

 印刷技術の発展と流通を止めるものがなかったように、「書きことば」の衰退と「ネット言葉」の興隆を止めるものはない。「書きことば」に頼って生きてきた一人としては、その優位性(おそらくは想像と思考の訓練になること)を「ネット言葉」に移管できるかどうかを試みるしかない。いったい、どうやって?

 そんなことを考えると、ときどき4冊のノートのことを思い出す。ひとりの人として言葉を発し、受け取る言葉の向こうにひとりの人を想起する、その繰り返しが何かの手がかりになるといいけれど。

ノートの提出率は生徒によってまちまちだったけれども、一対一のホットラインを築くという意味では、今でいうスクールカウンセラーのような効果があったかもしれない。熱心なばかりでなく鋭い先生だった、と大人になった今は思う。