何歳までサンタクロースを信じていたか、みたいな話になると、どうも困ってしまう。私には、サンタクロースが架空の人物だと知ってショックを受けた覚えがない。たぶん小学校に入る前だったと思う、ピンポンとチャイムが鳴って玄関に出てみると、あの格好をした人が立っていた。すぐに近所の子ども会の「ささきのおっちゃん」だとわかって、ホッとした。知ってる人だったからホッとしたのだ。「サンタクロースを信じている子ども」だったら、ガッカリしたんじゃないだろうか。
そもそも、”ママがサンタにキスをした”というクリスマスソングで「そのサンタは、パパ」って歌ってるし。上に兄と姉がいたからかもしれないけど、私はどちらかというと最初から「そういうもの」として受けとめていた気がするなあ。……そんな風に話すと、だいたい不評を買う。特に小さい子どものいる人には「えー、世の中にそんな子どもいるの」みたいに言われてしまう。私には「サンタを信じる無邪気な子ども」というイメージこそが、無邪気な大人の幻想なんじゃないかと思えて仕方ないのだけど、今のところ共感を得られた試しがない。
でも、『さむがりやのサンタ』という絵本は好きだった。手元の一冊は、もともと実家のリビングの本棚に挿さっていたものだ。三人の子どもが大きくなって、誰も開くことのなくなったこの絵本を、いつからか私は自室に隠匿した。一人暮らしを始めるときには、家族の誰にも断らず持ち去り、去年引越しをしたときも、特に考えることなく新居に持ち込んだ。奥付を見ると1978年第七刷。私は80年生まれだから、一番付き合いの長い本であることは間違いない。
マンガのようにコマ割があって、朝一番、パジャマにガウン姿でお茶を淹れて「おいしいこうちゃがなによりだ」というコマは、母のお気に入りだった。着替えをして、トナカイにご飯をあげて……という具合に一日が始まって、ソリに乗って出かけて、例の仕事をして帰ってきて、お風呂に入ってご飯を食べて……という具合に一日が終わる。私は、明け方に牛乳配達の人とすれ違って「まだおわらないのかい」「ほとんどすんじまったよ」と交わす場面が好きだった。
久しぶりに開いてみて笑ってしまったのは、最後の一コマだ。水色の縞模様のパジャマを着たサンタクロースが、ベッドのなかからこちらを向いて一言。
「ま、おまえさんもたのしいクリスマスをむかえるこったね」
私は大人になった今でも、こういう話が大好きなのだ。作りものの世界の一箇所に裂け目が入っていて、あちら側とこちら側がふわっとつながっているような”おはなし”が。
数年前、甥っ子がまだ小さい頃、『さむがりやのサンタ』を探したのに見つからなかった、という話を姉から聞いたときはギクリとした。私が持ち去ったことを白状して謝ると、新しいの買ったからいいよと許してくれた。
表紙も中身もシミだらけ、剥がれた頁をセロテープで留めた箇所もある。持っていた他の絵本は甥っ子にあげたのに、これだけ例外としたのは、第一に汚かったからだ。でも、それだけが理由ではなかったんだろうな、きっと。
確かな記憶はないけれども、私はたぶん、この本でいくつかの文字を覚えたんだと思う。というのも、文字のほとんどがフキダシのセリフだから、いわゆる絵本の文章と比べて格段に判読しやすい。母親や幼稚園の先生に読んでもらうのではなく自分で本を読むことを覚えた、あちら側の世界とこちら側の世界を行き来するおもしろさを初めて味わった。もしそうだとすると……。
私は「そういうもの」としてのサンタクロースから、わりと素敵な贈り物をもらったことになるんじゃないだろうか。彼の実在を信じる無邪気な子どもではなかったために。そんな子どももいるんだよ、と小さな声で言っておきたい。