中学生になった甥っ子が将来の夢を聞かせてくれた。画家になりたいのだという。小さい頃から絵を描くのが好きで、私を含む親戚みんながその絵を褒めてきたのだが、ちょっと褒めすぎたかもしれない。数年前の誕生日に私が水彩色鉛筆を贈ったことを覚えていて、それを使って描いた絵を写真にとって見せてくれる子だ。私が喜ぶとわかっていて見せてくれる。描くこと自体が楽しいのは良い、褒められて嬉しいのも自然なことだ、その二つのうち後者が前者に覆い被さっていないといいのだけど。
今年の誕生日は実用書『植物画プロの裏ワザ』をあげようかと思っている。川岸富士男さんは草花の水彩画を専門とする画家で、趣味で植物画を描く人に向けて一連の手順やコツが詳細に示されている。私はその作品が好きで、作者の人となりに興味を持って買った。だからこの本を手に実際に絵を描いたことはなく、制作過程の写真や文章を見るだけで満足していた。甥っ子には、いわゆる教科書・実用書として役に立てばもちろん良い、それに加えて川岸さんの経歴も参考になるのではないだろうか。
画壇の賞を受賞して道を拓いてきた人ではない。あとがきによると「もともと絵が好きで美術大学に入ったものの、プロの絵描きになるつもりはなく、サラリーマンに落ち着いた」。それでも絵を描きたくて、生活の中で無理なく描き続けられる方法を模索する。たまたま入った博物館で「このガラスケースに収まるような作品を描こう」というインスピレーションを得て、描いた絵を和綴じ本にまとめることを思いつく。『翠花』と名付け、一年に一冊のペースで制作した私家本が10冊になったとき、季刊雑誌で紹介される。初めて個展を開いたのは37歳のときだった。
私は好きな草花しか描かない。たんに美しいとか、珍しいだけで描くと、いい絵が描けないからだ。好きな草花でも、蕾がふくらんでから花が開き、やがて花びらが散るまでを観察し続け、一番その花らしい姿を見せたときにあらためてスケッチしてから本画を描くことにしている。その草花の全体を知ることが本質に近づく第一歩と思うからだ。
プロの絵描きになることを目的としていたのではない。草花が人に見られることを目的としていないように。川岸さんの絵の美しさは、おそらく、題材の本質と描く人の姿勢が一致していることによるのだと思う。椿の花の描き方を示した頁にはこうも書かれている、「花は長い年月をかけて進化した。描くのにどれほど時間をかけても、かけ過ぎるということはないはずだ」。
もう十年以上前になるが、個展の席で少し話をしたことがある。会場は代々木上原の器のお店で、当時ライターをしていた私を店主が紹介してくれた。「何を書いているんですか」という質問に、私は少し困って「良い文章を書きたいと思っています」と答えた。川岸さんはおもしろそうに笑って「いいですねえ。それが一番いい」と言ってくれた。意外な反応だった。
書評とかグルメ記事とか、具体的に答えることができなかったのは、私が自分の専門を見つけられずにいたからだ。絵を描く人の眼に、その迷いが見えていなかったはずがない。「迷っていい」と言ってくれたのだと思っている。甥っ子がやがて絵のことその他のことで迷ったとき、もし私が近くにいたら、ああいう風に言ってあげられるといいなと思う。