ライターズブルース

読むことと、書くこと

新しい本、古い本。新しい言葉、古い言葉。

『文車日記−私の古典散歩−』/田辺聖子/新潮文庫/昭和53年刊

 たまには最近買った本の話を。と思ったわけではないけれど、小池昌代さんの訳による『百人一首』(河出文庫)がおもしろい。正月に甥っ子や両親とこたつを囲んでカルタ遊びをした後、本屋で見かけて何気なく買って以来、枕元に置いて寝る前にパラパラと楽しんでいる。

 小倉百人一首を解説した本は昔からいくつもあって、少年少女向けのマンガもあり、検索機能の充実したウェブサイトもある。小池昌代さんの本では、何といっても現代の詩人による訳詩がステキだ。たとえば私が好きな一首〈わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり〉、これが以下のように訳されている。

わが庵は/みやこの東南/こんなものさ/のんきなものさ/いいじゃないか/なのに世間の人々ときたら/世を憂しの宇治山/だなんて言う/はあ 勝手なことを(引用者注:「/」は改行)

 意味内容だけではなく詩情というものを訳すると、こんな具合になるのか。こうして住んでますよ、といった意味の「しかぞ住む」を、こんなものさ、のんきなものさ、いいじゃないか、と広げると、ぐっと大らかな感じがしてくる。

 訳詩に続く鑑賞文もおもしろい。たとえば〈これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関〉、ひっきりなしに人が行き交う関所の光景が目に浮かぶような歌であるが、作者の蝉丸は盲目だったという伝説がある。「いったい、どんな音がたっていたのだろうか」。光景を暗転させると音が、音ばかりでなく空気や匂いが広がっていく。

 訳詩と鑑賞文に導かれて元の歌を辿ると、五感と言語能力をフル稼働させて、たった三十一文字にさまざまな情趣を含ませた歌人の姿がぼんやり浮かぶ。すごいなあ。紙も墨も貴重だったからだろうか、一字一字が支える質量が現代の言葉とは違う。

 

 飽き足りずに最近『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫)を買った。百人一首は本来、撰者である藤原定家が百首でもって作り上げた歌のクロスワードパズルであり、一首ずつ解釈しても仕方がない、という説があるそうだ。古典を愛好する著者はこの新説に賛同し、「名歌なのだろう、と中世以来、漠然とみんな思ってきたが、百人一首の中には、ずいぶん阿保らしいような愚作や駄歌がいっぱいある。私もそこが不思議だったのだ」……むーん、奥深いものなんだなあ。

 田辺聖子さんといえば小説もエッセイもおもしろい、散文の名手であるから、この本でも散文ならではのパワーが炸裂。一番天智天皇から始まって徐々に時代が下っていく歴史背景を伝えつつ、ところどころで現代の「与太郎青年」と「熊八中年」が登場。「坊さんがそんな、色っぽいことしてもええんですか」と茶々を入れたり「千年前の人の話と思えまへん」と共感したり。こちらも枕元に置いて、小池昌代さんの訳詩と行ったり来たりしながら、少しずつ読み進めている。

 

 百人一首はもともと母が好きだったおかげで、私が子どもの頃にも毎年お正月には家族でカルタ遊びをした。ときには遠くにある札をパシッと取らなければならないから、身体能力に優れた姉にはいつも敵わない。それでもお気に入りの歌がいくつかあって、その札だけは自分で取ろうと意地になったものだった。

 お気に入りといっても、歌の意味がわかるはずもなく、花鳥風月のめでたさや男女の恋の機微を解する年頃でもない。響きがいいとか覚えやすいとか、ただ単になんとなく。でも、それはそれで良かったのだ。

 昔の学生たちは「方丈記」や「平家物語」の冒頭の一章など、まる暗記させられたものでした。リズム感のある名文なので、若者はすぐおぼえてしまいます。みずみずしい若いあたまに刻みつけられた記憶は、一生消えません。
 そのうち二十代、三十代、四十代と生きるにつれて、その文章の意味を、年ごとに深く汲みとるようになります。わけも分らず暗記していたものがたえず新しい意味をもって生き返り、その生涯の血肉となります。古典というものはそういうものです。(「ゆく河の流れ」より)

 引用した『文車日記-私の古典散歩-』は、田辺聖子さんが愛する古典への思いを綴ったエッセイ集で、題材は万葉集古事記平家物語徒然草といった有名どころはもちろん、落語や江戸時代の戯画まで幅広い。年代順に並べて啓蒙する教科書的なところがまるでなく、歌を、物語を、ひたすらいつくしみ、いにしえの人々に思いを馳せている。

 この作家の他の本は、また読みたくなったら図書館で借りられるだろうと思って、引越しの際に手放した。このエッセイだけ手元に残したのは、いつかは何か古典を読みたくなるかもしれない、そのときはこの本が助けになるだろうと思ったからだ。いまだに現代語訳がなければ意味も拾えない門外漢のままだけど、著者によると百人一首を暗誦すれば「ふしぎと古文の文法がすらりと頭に入ってしまう」らしい。ほんとかなあ。

 甥っ子の中学校では、近く百人一首大会が催されるそうで、練習をしたいからと週末にカルタ遊びに召集された。甥っ子の手前、なるべく下の句まで聞いてから札を取ろうと思う。お気に入りの歌以外は。

手前の『ときめき百人一首』(河出文庫)は中学生向けの入門書。甥っ子用のつもりだったけど、文法とか修辞の解説がわかりやすく、自分用になりそうな予感。