ライターズブルース

読むことと、書くこと

“おふくろの味”の周縁

『料理歳時記』/辰巳浜子/中公文庫/1977年刊

「おばあちゃんの料理で何が好き?」と近所の人に聞かれた甥っ子が「ラーメン」と答えたらしい。麺は市販品だが具やスープを工夫しているようで、特にチャーシューを漬けるタレはここ数年継ぎ足しながら育てているとか。「特製チャーシューメン」と言ってほしかった、と母は笑いまじりに話していた。

 定年近くまで仕事をしていたから、私たちが子供の頃はラーメン用にチャーシューを仕込むような凝り方はしていなかった。今は時間に余裕があって、孫の食事に好きなだけ手間をかけられることが嬉しいらしい。体質的に小麦粉を控えなければならない甥っ子にとって、ラーメンはたまにしか食べられないごちそうであり、おばあちゃんとしては腕の見せどころというわけだ。その特製チャーシューメン、今度食べてみたいなあ、と言いながら私は『料理歳時記』の一節を思い出した。

 時代が移り変り、食べもの、飲みものすべて国際色豊かに刻々と変わるのです。”おふくろの味”も変っていってしかるべきです。味噌汁、糠味噌、ひじき、お煮〆などで留まっている必要もありますまい。おふくろの味とは、特別なものではないのです。むずかしいものでもなく、お金のかかったものではもちろんあるはずがありません。(中略)若いお母さま方! ジュース、ラーメン一つにもおふくろの味が生まれてそして残されるのです。(”手作りのジュース”より)

 辰巳浜子は専業主婦が高じて(妙な言い方だ…)料理研究家として名を残した人だ。私が生まれる前に亡くなっているからその存在感は想像するしかないが、『料理歳時記』は何度読んでも楽しい。五月の風と陽の光、柿の木の葉が銀色に輝き出すと「そろそろ柿の葉ずしをお作りになりませんか、と語りかけているかのよう」……この人は本当に料理を作ることが好きだったんだな、楽しくて楽しくて仕方なかったんだな、と伝わってくる。きっと、そういう主婦が作る料理ほどおいしいものはない。

 私にこの本を教えてくれたHさんも、料理上手の主婦だった。奇縁と言うべきものと私の食いしん坊が重なって、何度となくご自宅へお邪魔してはご馳走になった。たとえばアジフライ。二人のお子さんと一緒にテーブルに着くと、次から次へと揚げたてを出してくれる。まずは塩とレモン、次はウスターソース、そして柴漬けとラッキョウの和風タルタルソースを添えて、ビールを飲みながらサクサクサクサク。八尾くらいは食べただろうか、とにかく軽くてふわっとしたアジフライだった。

 結局のところ主婦の料理が一番ではないか。私がそう確信したのは、あるイタリア料理屋でお土産におにぎりをもらったときだった。シェフのお母さんによる差し入れのお裾分けで、翌朝になっても米粒がピカピカしていて、酒のアテになるくらい塩が効いていた。後日お礼を伝えると、シェフはにかっと笑って「そうだろ、うまかったろ。うまいんだよなあ」と、お店の料理を褒められたときよりも嬉しそうだった。

“おふくろの味”という言葉から私が連想するのは、どういうわけか、そんなような思い出だ。母の得意料理もいろいろあったはずで、それを挙げないのは、もしかすると当の母にとっては不満かもしれないが。私としては具体的に何か一つを挙げるよりは、食べ物の好き嫌いなく育ったこと、食いしん坊に育ったことをもって「ごちそうさま」と伝えたい。

「秋刀魚を食べて何よりも嬉しいのは、あの骨ばなれのいいことです」。なるほどと膝を打ちたくなるような名文がたくさんある。