ライターズブルース

読むことと、書くこと

願わくば今よりも広く深く

『河よりも長くゆるやかに』/吉田秋生/小学館文庫/1994年刊 三十を過ぎた頃、母校大学で週に一コマ作文のワークショップを受け持つことになった。人に教えられるほど作文に習熟しているつもりはなかったけれども、私が辞退すれば枠が一つ空くタイミングで…

つぎはぎの作法

『ヘンな日本美術史』/山口晃/祥伝社/平成24年刊 いつの選挙戦のことだったか、故安倍晋三さんが「日本を取り戻す!」というスローガンを繰り返すのを聞いて、それっていつの日本ですか、とぼんやり思ったものだった。経済成長していた頃のことか、帝国憲…

崩れた本を積み上げる

『アンダーグラウンド』/村上春樹/講談社文庫/1999年刊 外国人観光客が戻ってきたのはいいけれど、お会計のときに「え、こんな安いの!?」みたいに言われるとなんか、この人たちから見ると日本ってもう先進国じゃないんだろうなって思う……最寄駅近くのカ…

読む理由、読まない理由

『アンダーグラウンド』/村上春樹/講談社文庫/1999年刊 酒場や旅先で若い世代の人と雑談する機会に、なんとなく「地下鉄サリン事件って知ってますか?」と話をふってみることがある。自分が15歳の頃に相手が何歳くらいだったか、距離感を測る目安にしたり…

個人的な教訓

『A3』上・下/森達也/集英社文庫/2012年刊 15年以上前に某月刊誌の取材として、某民放の情報番組の打ち合わせを見学したことがある。番組の司会者はスタッフが用意したフリップを指して、「これはどういう意味?」「だったらそう書けばいいじゃない」「…

一時停止からの再生

『「A」マスコミが報道しなかったオウムの素顔』/森達也/角川文庫/平成14年刊 高校一年生のとき、週に一コマ倫理の授業があった。たとえば「ウソも方便か?」とか「男女間で友情は成立するか?」といったテーマが設定され、生徒は配られた紙に自分の考え…

“おふくろの味”の周縁

『料理歳時記』/辰巳浜子/中公文庫/1977年刊 「おばあちゃんの料理で何が好き?」と近所の人に聞かれた甥っ子が「ラーメン」と答えたらしい。麺は市販品だが具やスープを工夫しているようで、特にチャーシューを漬けるタレはここ数年継ぎ足しながら育てて…

「おいしい」の正体

『味覚極楽』/子母澤寛/中公文庫/1983年刊 引越しに向けて本を整理する中で、特に料理関係の本は線引きが難しかった、と前回書いた。処分するか持っていくか、もしなんとなくの基準があったとしたら「類書があるかどうか」だったかもしれない。少なくとも…

地味礼讃

『逃避めし』/吉田戦車/イーストプレス/2011年刊 フリーライターをしていた頃、必要もないのに弁当を作っていたことがある。寝る前に炊飯器のタイマーをセットして、朝、炊き上がった米を弁当箱に詰め、おかずを載せて、冷めたら蓋をして、大判のハンカチ…

羊から逃げてきた話

『羊をめぐる冒険』(上)(下)/村上春樹/講談社文庫/1985年刊 ライター稼業から足を洗おうとしていた私を、引き留めようとしてくれた友人がいた。彼女の紹介で某月刊誌の編集部から連絡があったとき、それはいい仕事、言ってみればお座敷からお声がかかった…

"怒り"ではなく"粘り"を

『戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗』/加藤陽子/朝日出版社/2016年刊 今の若い人たちはもっと怒ったほうがいいと、先日ある年長者に言われて、さて、と考え込んでしまった。とうに四十を過ぎている私を指してのことだったかどうかはともかく、私だ…

電子書籍、私の場合

『HIROHIRO ARAKI WORKS 1981-2012』(ジョジョ展イラスト集)/荒木飛呂彦/集英社/2012年刊 丸三日かけて整理して、業者に引き取ってもらった古本は段ボール17箱分。電子書籍だったなら引越し前にそんな苦労はしなくて済んだはずで、「紙の本はもうこりご…

持っているもの、持っていないもの

『長谷川利行画集』/長谷川利行画集刊行会/中央公論美術出版/昭和38年刊 海を見ながらビールでも飲もうかと思って。引越しの報告にそう付け足すと、どういうわけか誰も彼もが「いいですね」「素敵ですね」と言ってくれた。みんなそんなに海とビールが好き…

書くことと書かないこと

『時に佇つ』/佐多稲子/講談社文芸文庫/1992年刊 ライター業を廃した理由は、その気になれば二ダースは挙げられる。後付けの説明にどの程度の本当が含まれるかは保留として、諸々の中でおそらくはこれが根本的な問題だったかなと現時点で思うのは、良い原…

古い良き今はなき

『ナンシー関大全』/ナンシー関/文藝春秋/2003年刊 どの本を手放してどの本を持っていくか、引越し前の選別作業は時間的物理的限界に迫られてだいたいは「なんとなくの直感」で決まった。珍しく、残した理由をはっきり覚えているのが『ナンシー関大全』。…

修行の一例

『モンテーニュ エセー抄』宮下志朗編訳/みすず書房/2003年刊 ライター時代に懇意にしていた作家の配偶者のもとに、あるとき匿名の怪文書が届いた。「内部告発」と題されたメールが四通、その作家の異性関係を暴露した内容だった。当然のことながらいった…

草花のように草花を

『植物画プロの裏ワザ』/川岸富士男/講談社/2003年刊 中学生になった甥っ子が将来の夢を聞かせてくれた。画家になりたいのだという。小さい頃から絵を描くのが好きで、私を含む親戚みんながその絵を褒めてきたのだが、ちょっと褒めすぎたかもしれない。数…

記憶の栞

『災間の唄』/小田嶋隆/武田砂鉄編/サイゾー/2020年刊 持ってきたと思っていたのに、引越し後に出てこなかった本の一つが阿佐田哲也の『麻雀放浪記』だ。2011年の春に全四巻を一気読みした思い出がある。地震と津波と原発事故を巡って、「自粛」と「風評…

裏と表とその中身

『うらおもて人生録』/色川武大/新潮文庫/昭和62年刊 飲み屋のカウンターで背後を人が通り過ぎる気配がした。カウンターの中の人が「ありがとうございました」と声をかけたが、相手は無言のまま立ち去ったようで、中の人は眉を八の字に下げて呟いた。 「…

転職者の見た景色

『高橋是清自伝』上下/高橋是清/上塚司編/中公文庫/1976年刊 中小企業の広報部門に在籍していたことがある。『高橋是清自伝』はそのときに資料として読んだ。経営者向けのコンサルティング・サービスを提供する会社で、広報部門では顧客向けの会報誌やメ…

脱走の記憶

『「本が売れない」というけれど』/永江朗/ポプラ新書/2014年刊 引越しに向けてなるべく本を減らそうと思ったときに、比較的早く整理が進んだのは新書だ。文庫本や単行本と比べると、新書には時流がより濃く反映される傾向がある。少なくとも私が持ってい…

【備考】Amazonリンクの掲載について

久しぶりに日本の出版事情について考えていたら気分が暗くなったので、バラを買ってみました。 先週から各記事の末尾にAmazonリンクを貼っています。記事を閲覧された方がリンクからAmazonでお買い物をすると、売上の数%が「協力報酬」として私に支払われる…

弟子時代の遺物(その二)

『サミング・アップ』/モーム著/行方昭夫訳/岩波文庫 いま私の手元にあるサマセット・モームの文庫本はすべてF先生宅から貰い受けたものであることは前回に書いた。書いた後で思い出したことがあり、思い出した後で考えたことがある。 「モームだけでい…

弟子時代の遺物(その一)

『お菓子と麦酒』/サマセット・モーム/厨川圭子訳/角川文庫/平成20年刊 引越しから半年以上経ってようやく本の収納場所を定めて、ジャンルや判型、作家ごとにざっくり整理してみると、サマセット・モームの文庫本が十冊くらいある。全体量と比べれば好き…

贅沢と極道

『私の作ったお惣菜』/宇野千代/集英社文庫/1994年刊 海の近くに住んだら、いつでも海を見ながらビールが飲めるなあ。そんな思い付きでの引越しだったから、歩いて海に出られる以外の条件はほとんど全部妥協した。最大の難点は本棚を置くスペースがないこ…

雑誌を買う理由

『BRUTUS』914号/マガジンハウス/2020年4月15日刊 インターネットの普及によって情報がタダで手に入るようになったから雑誌が売れなくなった、という話が嫌いだった。フリーライターをしていた頃は特に、出版関係者の口からそういう話を聞くと「人のせいに…

読者と、それ以外

『国境の南、太陽の西』/村上春樹/講談社文庫/1995年刊 村上春樹の話になると「私はちょっと……」と申し訳なさそうに言う人がいる。現役の世界的作家の作品を読んでいないとか、読んだけど楽しめなかったというのは、なんとなく肩身の狭いもので、白状する…

18年目の追悼

『百日紅』上下/杉浦日向子/ちくま文庫/1996年刊 好きな作家の本は捨てられない、というよりは、捨てられない本こそが好きな作家の本、かもしれない。読破しようと意気込んで買い揃えた覚えはないのに数えてみれば10冊以上ある。もう読まないものは処分し…

一途にはなれない

『吉兆味ばなし』/湯木貞一/暮らしの手帖社/昭和57年〜平成4年刊 某城下町に知る人ぞ知る割烹の名店があるとの案内を得て、ついて行ってみると期待を上回るとてもおいしいお店だった。案内をしてくれた人に、『吉兆味ばなし』の世界だと思いました、と感…

絵をみること、本を読むこと

『絵のなかの散歩』洲之内徹/新潮文庫/平成10年刊 本に始まり、本に終わる。それが私の引越しだ。机や床に積み上げられた本をどかさないことには荷造り一つできない。越してしまえば生活必需品を開梱し、足りないものを買い足すことに追われる。洗濯と入浴…